2015年5月17日に実施された大阪市の特別区設置住民投票では、京都大学の 藤井 聡 氏を中心に学者による主張がなされました。これまでに、およそ無かったことなので、学者の社会的な主張にはどのような傾向があり、どう受入れるべきか、有権者に経験がなかったと考えられます。
ここで、私が以前書いた、「天理」・「地理」・「人理」を紹介します:
神から人格を除くと理になる。理は「天理」「地理」「人理」から為り、「天理」は一般法則、「地理」は地域的・局所的な法則、「人理」は個人・集団・不特定多数に対する入力・内部状態変移・出力の関係を表す。 ###
— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) 2012, 3月 14
学問は、「天理」・「地理」・「人理」を行き来する行為です。
学者たちが目指すのは「天理=普遍的な理論」ですが、そのためには「地理=特定条件における一般性質」を見つけていく必要があります。革新的なアイデアは、学者の発想(不明推測法((アブダクション))の起点)に依存します――これは「人理」です。
● 学者は、将来に関して「地理」・「人理」に重きを置けず、現状を変えるリスクを過大評価し、その社会的な意見は現状維持的になりがちである
学者が将来に関する 社会に向けた主張を表明するときに、現状を変えるリスクを過大評価する傾向があると考えられます。
現状を変えるリスクは、「天理」の前に、リスクのまま解決されず、悪いもののままです。リスクをプロフィット(利益、良いもの)に変換するのは、「地理」・「人理」の作用ですが、将来に関して、「地理」・「人理」に学者は重きを置けません。
なぜならば、「地理」・「人理」は、将来に関して、間違えずに説明しにくいからです(対して、過去・現状に関して、それらは歴史・実証として、間違えずに説明できます)。
結果、現状を変えるリスクが解決されないものとして残存し、過大評価されます。
したがって、学者の将来に関する 社会に向けた主張は、現状維持的になる傾向にある、と考えられます。
マルクス=エンゲルス共著の『ドイツ・イデオロギー』(1845~46)は次のように締めくくられている。「哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである。しかし肝腎なのはそれを変えることである」(真下信一訳) ―― 梶井厚志 : 戦略的思考の技術 (中公新書, 2002) p.93.
● 政治・統治は、「人理」「地理」において行われる
人と人との間のあらゆる調整、すなわち広い意味での政治は、「人理」です。
議会・政府・選挙などを手段とした統治のための知的行為、すなわち狭い意味での政治は、「人理」を知的行為の中心として、「地理」をその出力とします。