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当時の陸軍のトレンドは機動力でした。帝国陸軍といえば歩兵とお馬さんみたいなイメージが強いですし、実際そういう部分は大いにありますが、戦前の陸軍が行っていたのは部隊の機械化だったのです。
なぜそのような選択肢を取ったのかと言いますと、全然兵力が足らないからですね。
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訓練された歩兵を戦車で支援しながら機動戦を以て、なんとか数の劣性をカバーするという精鋭少数主義を取らざる終えませんでした5:17~
盧溝橋事件など事変が拡大していきますと日本軍と中国国民当軍は全面対決という格好となり、これによって陸軍予算が増えたことでチハのコストを考える必要がなくなり、気づいたら主力戦車のようなものになっていきました。それと同時に兵隊さんの動員が急激に始まりましたので、陸軍の機械化は頓挫。
こうして日本陸軍といったら兵隊とお馬さんといったイメージが出来上がっていったのです。
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これが当時の日本の兵隊さんの動員数になります。なんと20万人の軍隊から500万人の軍隊になっておりますので、戦車よりも歩兵の装備を優先して作る必要がありました。
【註:陸軍 500万人は1945年。
陸軍 1936年 24万人程度→ 1937年 95万人程度 日本の軍人の数 ~軍人の数から戦争をみる~ (2015) p.14.】