矛盾の受容

矛盾は真実である。矛盾の受容は、止揚(アウフヘーベン)によるが、簡易な止揚として、動的・闘争・平行線がある。

矛盾は真実である:

岸田 一隆 : 科学コミュニケーション――理科の〈考え方〉をひらく (平凡社新書, 2011) p.153.

 一九九八年、国際児童図書評議会、第二十六回世界大会での、美智子皇后による基調講演の中に、次のような御言葉がありました。

  「読書は、人生の全てが、決して単純ではないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかねばならないということ」

ボストークちゃんのインタビュー(77件) – 「葉隠について、思われていることを教えて下さい」 – ザ・インタビューズ (引用部のみ: TAKAGI-1 たんぶら)

葉隠の面白いところは、
「四の五の言わず、下らんことを考えず、即切り込みに行け」
的な発言がある一方で、
「長生きすれば誰でもいつかは一番になれる」
と真逆のことを言う点です。
世界は万事、裏と表の面を持つわけで、
「Aは正しい。だが、こっそり言うが、Bという面がある」
という二重性を秘めている点を理解している点です。

動的:
どっちも正しくて、両派の間を人が行ったり来たりしているのが良い状態

闘争:
マルクス, エンゲルス=著, 大内 兵衛, 向坂 逸郎=訳 : 共産党宣言 (岩谷文庫, 2007) p.10. (エンゲルスによる「1883年ドイツ語版への序文」)

したがって(太古の土地共有が解消して以来)全歴史は階級闘争の歴史、すなわち、社会的発展のさまざまな段階における搾取される階級と搾取する階級、支配される階級と支配する階級のあいだの闘争の歴史であった。

平行線:

社会において闘争の勝敗を決めるのは、無知な人々だ

誰もが(大多数の人が)無知だ。あなたの前にいる人も例外ではない。

そして、社会において闘争の勝敗を決めるのは、無知な人々だ。有知になった 元〈無知な人々〉に勝てる者はいない。

故に、情報の伝え方、予めの伝達が重要だ。社会の開拓には、無知な人々の頭の中の開拓が必要だ。 (初出: 2014年4月9日 21:44)


佐藤 篁之 : 「満鉄」という鉄道会社―証言と社内報から検証する40年の現場史 (交通新聞者新書, 2011) p.178.

後藤[:後藤 新平]はいう。

「台湾統治における児玉総督の値打ちというものが何であるか、台湾を拓いたのではない。そんなことはそっちのけで総理大臣はじめ内閣の頭脳を開拓していったのである。… 歴代の内閣の中には、はばかりながら皆偉い人ばかりではない。それを開拓するということに児玉総督が最も努めた、これが開拓成功の基である」

上記引用では、社会的地位が高い「無知な人々」であるが、そうでない「無知な人々」も「社会において闘争の勝敗を決める」。

労働組合とポリアーキー

労働組合は、ポリアーキー(Polyarchy)を構成する一つの活動の場である *。

労働組合の、(駆動を目的とする)情報発信は、内部と、企業と統治機構(政治)に向かっている。

小川 仁志 : 日本を再生!ご近所の公共哲学 ―自治会から地球の裏側の問題まで (技術評論社, 2011) pp.67-68.

アメリカのロバート・ダールによる議論は、私たちに大きな示唆を与えてくれるものといえます。… アメリカの社会をよく見ると、実際には一つのエリート集団が政治を牛耳っているわけではなく、むしろ企業、労働組合、政党、宗教団体、マイノリティといった様々な利益集団が権力を分かちもっているというのです。

 それらが互いに競合しながら、調整を行い、権力を行使しているわけです。その意味で、民主主義というのは諸団体による統治なのです。ダールは『統治するのはだれか』において、こうした民主主義のあり方を「ポリアーキー」と呼びました。

 ポリアーキーの特徴は、個人単位で活動するのではなく、諸団体が相互に交渉し合い、議会に対しても影響力を及ぼすことで権力を行使していく点です。これによって、選挙や議会制度といった民主主義の形式的な側面を補完することが可能になります。個人単位だと、わざわざ政治のための議論の場に参加する必要が生じますが、自分の属する団体が政治の単位だということになると、そこで日常的に繰り広げられる議論は、そのまま政治のための議論につながってくるわけです。

* 初出:

偉い人は、「超性」している

偉い人は、情報伝達のためのコミュニケーションと共感・共有のためのコミュニケーションが共にできる。組織の長ともなると、対外的には後者の方が重きを占めるのであろう。

よく語られる、男女間のコミュニケーションに対する認識の違いを元に、前者を男性的、後者を女性的だと考えるならば、偉い人は、「超性」している。

将棋電王戦は、将棋を面白くした仕組みを構成する重要な仕組みである

要約:
将棋電王戦は、将棋を面白くした〈対局状況を可視化する〉仕組みを構成する〈将棋ソフトの信頼性を保証する〉という重要な仕組みであり、続けられるべきである。


第3回 将棋電王戦 (将棋電王戦 HUMAN VS COMPUTER | ニコニコ動画)は、コンピュータの4勝1敗で幕を閉じた。これを受けて、勝負にならない、と第4回の開催を危ぶむ声がある。私は、「人類の敵」と呼ばれるかもしれないが、コンピュータ側も応援しているので、第4回も開催して欲しい。

いや、電王戦は続けられるべきなのだ。なぜならば、将棋電王戦は、将棋を面白くした仕組みを構成する重要な仕組みであるからだ。

電王戦がもつ意味のひとつは、将棋ソフトの信頼性の確認である。

将棋、より正確には「見る将棋」は、対局状況の可視化によって、面白くなった。対局途中の盤面が、有段者でなくても、一目に解することができるようになったのだ。

対局状況の可視化のもとになる情報は、将棋ソフトが生産している。〈対局状況を可視化する〉装置では、将棋ソフトが評価値や読み筋を生産し、それを映像・図画にして、視聴者に見せている。

電王戦は、その評価値や読み筋が、実戦において正しいかどうかを確認し、その信頼性を保証する仕組みである。すなわち、電王戦は、〈対局状況を可視化する〉装置を成り立たせる仕組み(以下、〈対局状況を可視化する〉仕組み、と記す)を構成する重要な仕組みである。

例えるならば、電王戦は、秤や物差しが正確であることを保証する、計器の校正作業、それも国を代表する機関(日本における、産業技術総合研究所 計量標準総合センター(NMIJ))で行われる校正作業である。

さらに言えば、電王戦に使用されるソフトは、将棋電王トーナメントの上位5ソフトであるが、別の大会である世界コンピュータ将棋選手権では他の上位ソフトも存在する。電王戦に使用されるソフト5種類の信頼性が確認されることにより、その他の上位ソフトの信頼性も確認される。すなわち、電王戦は、〈対局状況を可視化する〉装置を構成するような多様な上位将棋ソフト全体の信頼性の保証経路(トレーザビリティー)の起点である。

ファティック

猪瀬 直樹 : 言葉の力 -「作家の視点」で国をつくる (中公新書ラクレ, 2011) pp.79-80.

 無駄話のように見えるこうした言葉の伝え合いは「ファティック(phatic)」と呼ばれる概念で、日本語に適切な訳語はない。あえて「交話」とでも訳すほかはない。

 「ファティック」とは何か? どうでもいいような会話をつづけながら、人と人をつなぎ合わせる行為のことである。言語技術が家屋だとしたら、ファティックは土台のような位置になる。土台があれば、その延長のふるまいとして質問ができる。

関連:

百年に一度、決定的な嘘をつくために

中西 輝政 : 情報を読む技術 Sunmark Books EPUB版 (サンマーク出版, 2012) p.142/242.

 「百年に一度、決定的な嘘をつくために、九十九年間は本当のことを言い続けよ」というのが、イギリスの国家戦略の伝統といえるでしょう。…
 これが、「欧米人の『信用第一』というのは、いざというとき決定的な嘘をつくため」という意味です。

交流行事がなくなるとは

私の出身は、大阪府池田市である。

平成の大合併の頃まで、全国池田サミットという行事が行われていた。

日本全国に存在する池田町および池田市と名のつく地方自治体が持ち回りで交流行事を主催していたのだ。もう少し正確に書くと、もともと池田町の集まりであったものに、途中から大阪府池田市が一員に加えていただいたのである。

池田市では、毎年、関連する物産展が開かれていた。

さて、最近、ある本のなかで池田という地名をみた。長野県池田町と北海道池田町である。

しかし、なんだか昔と感覚が違う。昔は、池田町の地名を見ると、行ったことはないもののそこに住んでいる人と生活の存在を感じたのだが、今はなんだか、地名としてしか感じられない。そこに住んでいる人の存在を感じられない。

交流行事がなくなるとはこういうものだな、n数=1ながら感じる。

ハレの伝搬・お裾分け

2014年 3月20日、バスから見える小学校に「卒業式」の立看板があり、校庭に大きな 日の丸が翻っていました。そして、出張先の駅では、制服に赤い花を刺した男子中学生が何人かいました。

ハレの場はS/N比が高いが、ハレはその場に留まるのみではなく、手段さえあれば、ハレは伝搬する。幸福は共に祝う。ハレのお裾分けの、実現された手段は、大事である。

関連: