エネルギーは、“生命の実”に関する。その視点の先には、発展がある。メディア(コンテナ)に宿る。
情報は、“知恵の実”に関する。その視点の先には、幸福がある。コンテンツに宿る。
■ エネルギー
●エネルギーと発展
発展についてをご覧下さい。
●エネルギーとメディア(コンテナ)
我々が認識する全てのモノは、メディア(コンテナ)である。
メディアがヒト(人)に認識される、すなわち、無あるいは他のメディアとは異なるものとして認識されるには、それが低エントロピーでなければならない。つまり、低エントロピーに生産され、低エントロピー状態を維持できていなければならない。
■ 情報
●情報と幸福
幸福は、情報によって表現されるだけではなく、情報上の概念として存在する。
【各学者まとめ「幸せとは?」】
文学「断念ののちの悟りである」
経済学「ひとの痛みがわかることである」
哲学「ほんとうを確かめ合うことである」
心理学「愛する人の幸せを願うことである」
(100分de幸福論)
— Nishiyama Takeshi (@tkswest) 2014, 1月 2
●情報とコンテンツ
メディア(コンテナ)が醸す事柄を理想的に解読したのがコンテンツ(情報)である。それに接したヒトの神経系に生じる一連の信号が、それを近似する。
■ エネルギーと情報
● エネルギーと情報
発展について #エネルギーと情報をご覧下さい。
● 発展と幸福
発展(すなわち、エネルギーの有効な利用量の増加)による〈不可能の可能化〉は、幸福のひとつの見方である「ほんとうを確かめ合うことである」の“ほんとう”の追求をヒトの最重要課題に押し上げる。できない言い訳をすることができなくなったとき、ヒトは“ほんとう”を真剣に考えざるをえなくなる。
● エネルギー{:メディア(コンテナ)}と情報{:コンテンツ}と経済
発展について #経済をご覧下さい。
言い換えると、メディア(コンテナ)とコンテンツのやり取り(:変換)の連続の、ひとつの形態が経済であり、そのやり取りが個々の経済活動である。経済活動は一般化されることにより、連続である経済が高速化されている。例えば、牛であろうが、宝石であろうが、靴磨きサービスであろうが、それらは商品として売買(一般化された経済活動)される。やり取りの作法は様々であろうが、買い手が売り手に金銭を支払い、商品を得ることは共通である。それ故に売買行為の経験は積みやすく、慣れにより高速化していく。だから、ゆっくりで広がりのない〈地面を水が這う様(さま)〉ではなく、高速で広がりのある〈用水路〉なのである。