マーシャル・マクルーハン: Understanding Media: the Extensions of Man (1964):
われわれの文化は統制の手段としてあらゆるものを分割し区分することに長らく慣らされている。だから操作上および実用上の事実として『メディアはメッセージである』などと言われるのは、ときにショックとなる。このことは、ただ、こう言っているにすぎない。いかなるメディア(すなわち、われわれ自身の拡張したもののこと)の場合でも、それが個人および社会に及ぼす結果というものは、われわれ自身の個々の拡張(つまり新しい技術のこと)によってわれわれの世界に導入される新しい尺度に起因する、ということだ。
小林 啓倫 : 今こそ読みたいマクルーハン 電子書籍版 (株式会社マイナビ, 2013) 位置No.773/2576.
さて、「メディア(テクノロジー)は人間の身体を拡張し、感覚も拡張する」というのがマクルーハンの基本的なメディア観でした。
小林 啓倫 : 今こそ読みたいマクルーハン 電子書籍版 (株式会社マイナビ, 2013) 位置No.752/2576.
マクルーハンの頭の中では、「メディア=テクノロジー=身体の拡張=感覚の拡張」という等式が成り立っているわけですね。
小林 啓倫 : 今こそ読みたいマクルーハン 電子書籍版 (株式会社マイナビ, 2013) 位置No.364/2576.
マクルーハンの言葉の真意がどこにあるにせよ、彼がメディアについて、「社会環境を変化させてしまうほどの存在」と捉えていたことは明らかです。
即ち、以下の関係が導かれる:
メディア=われわれ自身の拡張したもの=技術
これらが、社会環境を変化させてしまうほどの存在なのである。
これは、人間の本能の所業であると考えることができる。
すなわち、人類はその誕生の瞬間からして、その存在を外部エネルギー源に依存している。人間は、その体内で生産される熱だけでは生きていけない。外部からの熱供給(食糧の加熱調理、暖房 など)が必要である。人間は、ヒトという生物個体では生存できず、われわれ自身の拡張したものがなければ、生きていけない。
故に、人間が、われわれ自身の拡張したものに強く影響を受けることは、生存の希求の故であり、即ち、本能の問題である。
さて、メディア、われわれ自身の拡張したもの、技術という 3つに共通な概念は、再現性と、入出力関係に関する知識である。
メディア(=われわれ自身の拡張したもの=技術)として、以下の 4種類が挙げられる:
(1) 情報媒体、記憶・記録手段
(2) 周囲環境、身の回りの家具・建具・調度品、建築、都市
(3) 社会、制度
(4) 技術
これらは、以下に留意することにより、さらに拡張が可能である。
・共通な特徴である: 再現性と、入出力関係に関する知識
・例としての: メディアと、技術
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