モノの抜群の機能により、現実が影響を受けて変化する

モノの抜群の機能により、現実が影響を受けて変化するモノのデザインは、アフォーダンス(モノに備わった、人が知覚できる「行為の可能性」――アフォーダンス – Wikipedia [2013年11月18日 (月) 12:54 の版])によって、人にそのモノの使用法を認識させる。

対して、モノの機能は、その発現によって現実が変化する可能性を人が知覚することによって、人に現実の操作法を認識させる。そして、モノがもつ機能が抜群であれば、現実がその影響を受けて変化する。

本記事では、後者について説明する:

モノの機能は、人に現実の操作法を認識させる

まずは、実例として私の体験を紹介する: 私が使用するある洗面所では、洗面台(洗面器でない平板)が水しぶきによって濡れるので、少し前に布巾が置かれた。濡れた洗面台を使用者が拭くためにである。私は、あまりその布巾を使わなかった。
その後、窓掃除に使われるスクイジーが置かれた。私は最初 好奇心でスクイジーを使った。見事に、洗面台の水が掻き取られた。今では毎回、スクイジーを使って、洗面台の水を除いている。

モノに機能があり、どのような機能があるのかを人が知っていることは、人にそのモノを使おうという意思を生じさせる。モノの機能が抜群であるほど、人に生じる、そのモノを使おうという意思は強くなる。

細かく言うと、現実を対象に、そのモノの機能の発現によって現実が変化する可能性を知覚することにより、人は現実の操作法を認識する。その「現実の操作法」=「モノの機能の発現」が、その人が現実において実現しようとする状態に向かわせる方法に当たり、費用対効果(リスク対プロフィット)が割に合えば、その人は、そのモノを使用する。

モノの抜群の機能により、現実が影響を受けて変化する

さて、人が現実において実現しようとする状態は、ひとつではない。

再び実例として 私の体験を紹介する: 私は、ある朝、交差点を渡る直前で、緑の明滅信号になったので、止まろうとした――この時、私には、交通規則の遵守が「快」であり、これを実現しようとした。
しかし、後ろからきた人が交差点を渡り始めたので、自分も渡った――この時、私には、「後ろからきた人」に遅れないことが「快」であり、これを実現しようとした。

人が現実において実現しようとする状態がひとつではないため、そのどの状態を選ぶかに、利用できるモノにどのような抜群の機能が備わっているかが影響する。従って、現実は、モノの抜群の機能の存在に影響を受けて、変化する。

なお、抜群の機能は、設計と管理された生産により作り込まれるので、設計と生産行為が、現実を左右することになる。設計と生産行為の知的基盤は技術である。「技術決定論」が現象として現実に表れる機序(メカニズム)は上記なのだ、と私は考える。

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