姫路のご当地アイドル「KRD24」からの発想

姫路のご当地アイドルプロジェクト「KRD24」からの発想:

個人の共通点がなくなった社会(平均が意味を持たない社会)において、(マス)メディアは、ごちゃ混ぜを提供するか、キュレータとして振る舞う。

個人の共通点が残っている社会(平均が意味を持つ社会)において、(ローカル)メディアは、平均を提供し、安心を提供する。

共通点がある個人の集合において、平均はその共通点を浮かび上がらせるため、平均を、対象像として設定することに意味はある。しかし、共通点がない個人の集合に対して、平均は無意味である。なぜならば、個人がもつ性質の度合いの多くは、正規分布ではなく、冪条則に従って分布するからである。

個人と《個人同士の相互作用》の総合としての社会は、中心局限定理により、意味のある平均をもつ。その社会の将来を予測することは可能かもしれない――ハリ・セルダンの心理歴史学のように。

しかし、個人の共通点がなくなった社会において、個人への訴求力をもたなくなったマスメディアに、社会の操作は不可能である。あるならば、社会を特定の将来へ誘導すべく、個人への訴求力をもったメディアそれぞれを操作しなければならない。