「最終戦争論」に書いた、国民皆兵の「決戦戦争」。石原完爾はそれが一瞬で終わると書いた。
石原完爾が現代は、国民皆兵の「決戦戦争」が継続している状態である。「決戦」が軍事力による戦争によらないために、継続している。
我が国において、国民の概念が、国民(臣民)に広がったのは、日露戦争の頃だろうか。司馬遼太郎が「坂の上の雲」に描いたのはそれであり、それ以前に国民(臣民)に国民の概念がないことを福沢諭吉は嘆いた。
当時は、国民と世界は隔れていた。国家あるいは国家的なものが、国民と世界の間にあった。
しかし、現代は、それがない、あるいは希薄である。
かくして、国民は世界に関わらざるをえず、継続的な「決戦戦争」において、国民皆兵なのである。
継続によって消耗が続く。消耗と回復を繰り返す。継続によって得られたものは、時間であり、時間が生む可能性である。