航空における操縦・制御の重要性

これを見ると、航空において操縦・制御がいかに重要かが分かります。

飛行機の開発において、ライト兄弟が採った方針は、不安定だけれど、だがそれ故に操縦しやすい機体でした。そして、グライダーで操縦術を修得してから、動力飛行の実験に取り組んだのです。

グライダーといえば、リリエンタールがいますね。リリエンタールは、グライダーで飛びまくりました *。

操縦者の重心移動により操縦する当時のグライダーには、大きな欠陥がありました。操縦者が反射的に体を動かすと姿勢を崩し墜落するのです。

人は高いところから落ちる時に、反射的に脚を地面に向けます。しかし、グライダーが正面から見て傾いた(ロール・ヨー・ピッチでいう、ロール回転)ときに、脚を地面に向けると、傾きはさらに大きくなり、墜落に至ります。脚は地面から離れた方向に向けるべきなのです。でも、人にはそれができないのです。

* リリエンタールは、グライダーでの飛行だけでなく、翼の実験装置を自ら作って研究もしています。リリエンタールの実験結果は、その後の飛行機開発者に使われました。もちろん、ライト兄弟にも (ただ、使い方を間違えて、少し遠回りをしました)。

初出:
Facebook 2015/10/21

加古川・篠山川と武庫川

JR加古川線は、加古川に沿っている。

加古川線を北上すると、終点2つ前の船町口駅の先からは、篠山川(船町口の北で、加古川に合流する)に沿い、福知山線との乗り換え駅・谷川駅、さらに福知山線の大阪方(東方)の丹波大山駅まで線路は篠山川と並行する。

篠山川は、さらに東に向かって上っていく。

対して、福知山線の大阪方は、南に進路をとる。福知山線は、さらに大阪方の草野駅付近からは、武庫川に沿う。

大昔、篠山川の上流は、武庫川に流れ込んでいた。その流路が篠山口付近で堰き止められ、その後、加古川に合流する現在の篠山川の流路ができた。

河川争奪2 waybackマシン

太古、武庫川と篠山川がおなじ川だった

 篠山盆地をながれる篠山川がその大昔には、武庫川に向かって流れていました。(野村1984)

最終氷河期になるまでは、篠山川の水は武庫川に流れていましたが、傾斜が緩やかなため排水はよくありませんでした。
最終氷河期のとき、当野あたりの基盤岩が岩屑となって武庫川に堆積しました。そのため、流れは著しく悪くなりました。

流れがとまり、排水の悪いときの堆積物が弁天黒土です。
篠山盆地全体の排水がわるくなり、各地に扇状地ができました。
そして、川代渓谷ができると、排水がよくなり、それまで盆地にたまった堆積物の侵食がはじまりました。

現在では、

・加古川水系の篠山川の上流の籾井川の上流

と、

・武庫川水系の羽束川の上流の天王川

は、大阪府能勢町の北端の天王峠で近接する。ここが、現在の加古川水系と武庫川水系の分水界である。

羽束川は、福知山線道場駅の北に広がる千苅水源池に流れこみ、その後武庫川に合流する。

初出: Twitter 2015/ 8/16 10:12 10:21 10:27

ムーアの法則と仲間たち

遠藤 諭 : 神は雲の中にあらわれる 第122回 みんな〝ムーアの法則〟のせいなのさ!. 週刊アスキー, 2015/5/12-19号, p.146 (2015/ 4/28 発行・発売).

ムーアの法則 (Moore’s law) 18ヵ月で集積密度は2倍になる

クライダーの法則 (Kryder’s law) 13ヵ月でハードディスクの記憶密度は2倍になる

ニールセンの法則 (Nielsen’s law) 21ヵ月でネットの帯域幅は2倍になる

ビル・ジョイの法則 (Bill Joy’s law) 12ヵ月でプロセッサーの最大性能は2倍になる

ギルダーの法則 (Gilder’s law) 6ヵ月でネットのコミュニケーションパワーは2倍になる

鉱山化

鉱脈が見つかっても、開発して鉱山にして、はじめて利益をもって鉱石が手に入る。

鉱山化は本質的に重要である。

例1: ビジネスモデル

鉱山の例のひとつは、ビジネスモデルである。眠れる価値(ビジネスモデルなしでは、活用されない、あるいはお金にならずに使用される価値)をお金にする。 ビジネスモデルのおかげで、能力ある者が、金を稼ぎ、金を使い、人々が食っていける。

例2: 肥料

原始以来、落ち葉・糞尿から肥料が作成された。落ち葉・糞尿が肥料に変わる仕組みが「鉱山」である。

肥料の成分が化学的に解明され、リン鉱石から化学肥料が製造された。リン鉱石から肥料に変わる仕組みが「鉱山」である。

さらに、大気中の窒素ガスから化学肥料が製造された。エネルギーと空気が肥料に変わる仕組みが「鉱山」である。

例3: エネルギー

原始以来、木材からエネルギーが得られた。山がエネルギーに変わる仕組みが「鉱山」である。

石炭・石油などの化石燃料が掘り出されエネルギーが得られた。岩盤・砂漠がエネルギーに変わる仕組みが「鉱山」である。

さらに、今、水素をエネルギー媒体に利用する大規模な取り組みが始まっている。さまざまな今まで利用できなかったエネルギーを、水・水素を介して利用する仕組みが「鉱山」である。

補足:
肥料とエネルギーは、共に、

 再生可能資源を用いた「鉱山」
    ↓
 化石資源を用いた「鉱山」
    ↓
 容易獲得物質を用いた「鉱山」

という歴史を歩み、或いは歩みつつある

水素エネルギーとハーバー・ボッシュ法、技術決定論と唯物史観

要点:
肥料とエネルギーは、再生可能資源から化石資源へ、化石資源から容易獲得物質へ、という歴史を歩み、或いは歩みつつある。

エネルギーにおいて、容易獲得資源とは水(エネルギー媒体としては水素)である。

これらは、生産力に関する新たな革新である。それを実現する、生産力に関する新たな技術は、唯物史観によれば、技術決定論の文脈に語られる技術のなかで最も影響力が大きい。

1.水素エネルギーとハーバー・ボッシュ法

水素エネルギーの実用化は、大気中の窒素から肥料を作るハーバー・ボッシュ法の実用化(1912年)に似ている。

人類は、木材・木炭などの再生可能エネルギーから、石炭・石油などの化石燃料に転換することで、滅亡を免れた。

例えば、昔の製鉄には木炭が使われていたが、製鉄のための森林伐採による森林の減少が問題化した。行きすぎた森林伐採による鉄の生産量の急激な減少は、人類を窮地に立たせたであろう。人類を食わせているのは、鉄製の機械や道具が重要な役割を果たす人類社会であり、鉄の生産量の急激な減少は、それを維持できなくするからである。

ヒトが人として生きるためには、外部から食糧以外のエネルギーの供給が必要である(人類はその誕生の瞬間からして、その存在を外部エネルギー源に依存している)。現在の、人類人口を支えているのは、化石燃料や原子力である。さらに言えば、大人口が生存する前提である政治の安定も、高エネルギー消費によって実現されてきた

地球上に溢れた資源から肥料を作り出した、ハーバー・ボッシュ法の実用化にあたる、エネルギー界での出来事は、水素エネルギーの実用化であろう。

もちろん、水素エネルギーは、電気と同じ二次エネルギーである。水素を作るためには、他のエネルギー源(一次エネルギー)が必要である。しかし、いままで使えなかった一次エネルギーを水素の形態で使えるようになることの意味は大きい。鉱脈が見つかっても、開発して鉱山にしてこそ、はじめて利益をもって鉱石が手に入る。水素エネルギーの実用化は、鉱脈(:いままで使えなかった一次エネルギー)だけがある状態を、それを利用できる鉱山がある状態にする

2.技術決定論と唯物史観

ハーバー・ボッシュ法の実用化が人口の急増を起こしたように、水素エネルギーの実用化は、人類に繁栄と変化をもたらすだろう。

水素エネルギーの実用化は、生産力に直結する。生産とは、すなわちエネルギーの消費であるからだ。生産力に関する新たな状況は、唯物史観によれば、経済のみならず、文化などを含む社会全体の改革を引き起こす。生産力に関する新たな技術は、技術決定論の文脈に語られる技術のなかでも最も影響力が大きいと考えられる。

下部構造 – Wikipedia [2015年2月1日 (日) 16:26 の版]

唯物史観では、歴史を動かす基本的な動力は生産力と生産諸関係との矛盾にあるものと考えられた。すなわち、ある時代の生産力は、その時代の生産諸関係を規定し、何らかの要因で生産力が向上し、生産諸関係との間に矛盾が生じると、社会革命の時期が始まり、経済的基礎の変化と共に巨大な上部構造全体が徐々にあるいは急激に変革されると考えられたのである。

準惑星と太陽系小天体

準惑星
 ・小惑星帯に存在
   ・ケレス
 ・冥王星型天体
   ・冥王星
   ・エリス
   ・マケマケ
   ・ハウメア

太陽系小天体
 ・太陽系外縁天体
 ・小惑星
   ・小惑星の一覧 (1-1000)
   ・パラス
   ・ジュノー
   ・ベスタ
   ・アストラエア
   ・ヘーベ
   ・イリス
   ・フローラ
   ・メティス
   ・ヒギエア
 ・彗星
 ・惑星間塵

コンピュータを創った偉人たち

日本電子計算機株式会社(現、株式会社 JECC(ジェック)) JECC NEWS 2010年7月号~2012年12月号:

(1) ジョン・フォン・ノイマン(1903~1957年)
(2) アラン・チューリング(1912~1954年)
(3) ウィリアム・ショックレー(1910~1989年)
(4) ジョン・モークリー(1907~1980)/ ジョン・プレスパー・エッカート(1919~1995)
(5) チャールズ・バベッジ(1791~1871年)
(6) クロード・エルウッド・シャノン(1916~2001年)
(7) コンラート・ツーゼ(1910~1995年)
(8) ジョン・ヴィンセント・アタナソフ(1903~1995年)
(9) ハワード・エイケン(1900~1973年)
(10) ジェイ・ライト・フォレスター(1918~ )
(11) グレース・マリー・ホッパー(1906~1992年)
(12) ブレーズ・パスカル(1623~1662年)/ ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646~1716年)
(13) ヴァネヴァー・ブッシュ(1890~1974年)
(14) ジョージ・ブール(1815~1864年)
(15) エイダ・ラブレス(1815~1852年)

口蹄疫と自動車エンジン

Weekly Report: ○コンセントは? EVに思わぬ難敵 (2010/ 7/21 確認, 現在ページ消失)

ガソリン自動車が蒸気自動車を駆逐した経緯は、口蹄疫の蔓延で馬用の水桶が失われ、インフラの優劣が逆転した事にその発端がある。

梶井 厚志 : 戦略的思考の技術 (中公新書, 2005) p.134.

口蹄疫は1914年北アメリカでも大流行したのであるが、一説によるとこのときの口蹄疫の流行が、現在の自家用車にガソリンエンジンが搭載されるきっかけになったという。というのも、当時は蒸気エンジンも自家用車の動力として使われていたのだが、口蹄疫の流行を防ぐために馬用の水桶が撤去されてしまい、水道の普及が都市部にとどまっていた当時では、蒸気エンジンを搭載する車は動力源の水の補給を断たれてたいそう使いにくいものになってしまった。そのため、水を必要としないガソリンエンジンの研究開発が盛んに行われたというのである。

奥村 憲博 : 経路依存, ロック・インとグローバル・エネルギー戦略. IEEJ (2007年3月掲載).

 現在はガソリン車が市場を支配しているが、20 世紀初頭では、それぞれに不確実性を有した蒸気エンジン車、ガソリンエンジン車及び電気自動車の3つの候補が、競争を展開していた。内燃機関も、適正な品質等級のガソリンが得られにくいこと、危険であること、内燃機関エンジンはより多くの洗練された作動を蒸気エンジンより必要とされること等、多くの欠点を有していた。当時の蒸気エンジン車は、技術的・経済的両面でガソリンエンジン車と同等であった 6)。

 しかしながら、次のように歴史はガソリン車に有利に展開し、

・ 電気自動車にとっては、当時の米国の電力グリッドが地方には展開していないことがハンディ

・ 蒸気エンジン車にとっては、口蹄疫という伝染病が馬にはやったことから道路脇に水桶を設置することが条例で禁止されたことがハンディ

そして最初の 10 年間で、ガソリン車は、電気自動車及び蒸気エンジン車を数桁のオーダーで引き離した 7)。もし最初の自動車の出現が 20 年程度後れていたとしたら、今日の自動車のエンジンは、. 内燃機関ではなかったかもしれない 8)。当該事例は、ある意味典型的な経路依存性を示している。

6) D. Kirsch; Flexibility and Stabilization of Technological Systems: The Case of the Second Battle of the Automobile Engine (Program in History of Science and Technology, Department of History. Stanford University), (1995).

7) J. Foreman-Peck; Technological Lock-in and the Power Source for the Motor Car, Discussion Papers in Economic and Social History, Vol7(University of Oxford), (1996).

8) B. W. Arthur; On Competing Technologies and Historical Small Events: the Dynamic of Choice under Increasing Returns, Working Paper (IIASA, Austria), (1983) 83-90.

東京理科大学近代科学資料館、計算機の歴史から技術の進歩をたどる

東京理科大学の近代科学資料館には、ブッシュ式アナログ微分解析機をはじめ、計算道具・計算機のコレクションが展示されています:

動画に登場する計算道具・計算機:
 ・算具・そろばん
 ・機械式計算機
 ・電子式卓上計算機
 ・大型計算機(ブッシュ式アナログ微分解析機・パラメトロン計算機・UNIVAC 120 [真空管計算機])
 ・計算尺
 ・三元連立方程式を解く実験機

微分解析機再生プロジェクト
微分解析機 全天球画像 | RICOH THETA

松下村塾――吉田松陰と山尾庸三と工学の誕生

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ユネスコ諮問機関イコモスが世界文化遺産への「登録」を勧告(2015年5月4日)した「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」には、吉田 松陰 の松下村塾が含まれています。

なぜ「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」に、松下村塾が含まれているのでしょうか?

その答えを、5月6日のTBS「ひるおび!」において金谷 俊一郎 氏が解説されていました。吉田 松陰 は、「工学教育論」を唱えていた。門下の伊藤 博文 は、イギリスのグラスゴー(イギリスを代表する工業都市)に留学し、初代 工部卿になった、と。

萩エリア~萩市の資産 松下村塾 – 萩市ホームページ

工学教育論を提唱した吉田松陰の実家と塾舎

松陰は海防の観点から工学教育の重要性をいち早く提唱し、工学の教育施設を設立し在来の技術者を総動員して自力で産業近代化の実現を図ろうと説きました。その教えを受け継いだ塾生らの多くが、後の日本の近代化・産業化の過程で重要な役割を担いました。

これをきっかけに、いろいろ調べてまとめました:

伊藤 博文 は、ともにグラスゴーに留学した山尾 庸三 とともに、工学寮(後の東京大学工学部の前身のひとつ)を設立します(1871年)。山尾 庸三 は、松下村塾出身ではありませんが、留学前から二人は見知った仲であったと言われています(二人で、「群書類従」の編纂者・塙 保己一 (塙検校)の息子である、国学者・塙 忠宝 を、暗殺したと言われます)。

工学寮が学生を得た1873年、初代都検(教頭。実質的な校長)として、グラスゴーから、ヘンリー・ダイアー (Henry Dyer)が赴任します。なお、1873年において、工部省のトップである工部卿は、伊藤 博文 。工部大輔は、山尾 庸三 です。

ヘンリー・ダイアーは、熱力学のウィリアム・ランキンの弟子ですが、山尾 庸三 の学友でありました。伊藤 博文 ・山尾 庸三 を通じて、吉田 松陰 の「工学教育論」は、技術決定論同様のグラスゴーの思想(下記引用)と、つながっていたのです。

ヘンリー・ダイアー – Wikipedia [2015年3月2日 (月) 13:43 の版]

ダイアーの教育思想を育んだ背景は、大英帝国の発展を支えた「機械の都」スコットランド・グラスゴーに根づく「エンジニアの思想」であったと考えられる。「エンジニアの思想」とは、ヴィクトリア期スコットランド人技師によって生み出されたもので、「エンジニアとは、社会進化の旗手であり、生涯、研究・創作していく専門職である」という考え方である。

これが、「工学の誕生」の重要な点であったと考えます。

なお、伊藤 博文 は、1882年にウィーンにて、「大学で生産される知と知識人をまって初めて国家の体制は確立される」との考えに至り、第1次伊藤博文内閣において、帝国大学は設立されます(1886年)。教育を起点にする考え方は、工学寮に通じるものを感じます。

補足:
「工学の誕生」の下地として、以下があったと考えます:

・技術に焦点を当てたフランスの「百科全書」、およびその土壌となるブルジョアジーの強大化

ディドロ, ダランベール=編, 桑原 武夫=訳編 : 百科全書―序論および代表項目 (1971, 岩波文庫) p.398.

多田 道太郎による解説「『百科全書』について」より。

 なぜ百科全書派は技術を重視したのか。理由はかんたんである。それがブルジョアジーの利益になるからである。総じていえば「所有が市民をつくる」というブルジョア的立場が『百科全書』のほとんどを貫いており、したがってブルジョアの武器、道具としての技術が、新しく重視されることになったのである。

大阪府立図書館~フランス百科全書 図版集 ( 2004/05/12 )

・ヘーゲルの「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」の考え方

未踏であるほど、知能は知性に先行する
哲学と現実、科学と技術
ミネルヴァの梟

初出:
Facebook 2015/ 5/ 6

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