工学に貢献した4人の大科学者

森 博嗣 : 数奇にして模型 NUMERICAL MODELS (講談社, 2009 〈Kindle 版。底本は、講談社文庫(2001)〉) No. 1948/7436.

 なるほど、工科大学ならではの人選だ。八桁の数字ではなくて、四桁の数字が二つ繋がっていたのだ。それに気づけば簡単である。西暦、つまり、生誕と死去の年だ。 それは、工学に貢献した三人の大科学者を示している。 工学部には、電気、機械、化学、建築、土木、金属など、様々な学科がある。 各分野に共通する先駆者を、科学の発展史の中から選び出すとすれば、 この三人が順当なところだったのだろう。 たとえば他に、誰が挙げられるだろうか? ナビエ、クーロン、ラグランジュ、ベルヌイ、パスカル、 ストークス、それとも、アインシュタインか……。後年の人物になるほど、分野が専門化するため偏ってしまう。

小説の架空の大学「M工業大学」の正門やモニュメントには、8桁の数字が合わせて3つ刻まれている。

モデルになった名古屋工業大学には、8桁の数字が合わせて4つ刻まれている。

雑記: 2004年2月19日 ~ 2004年4月26日 #2004-02-20-Fri 森博嗣「数奇にして模型」 (抜粋引用: TAKAGI-1 たんぶら 2014/10/20)

センター試験の願書を入手しに名工大に行った時(調べると1999年10月19日)、 8桁の数字は見つかったけど、3つではなく4つあった。 4つ見つけるまで、モデルになった場所に行けば答えはわかるのだと思っていた。 名工大の方に刻まれていたのは、 レオナルド・ダ・ヴィンチ、 ガリレオ・ガリレイ、 デカルト、 ニュートン の生没年だった。

即ち、

14521519 レオナルド・ダ・ヴィンチ – Wikipedia

15641642 ガリレオ・ガリレイ – Wikipedia

15961650 ルネ・デカルト – Wikipedia

16421727 アイザック・ニュートン – Wikipedia

人間は、自身を拡張したものに強く影響を受ける

マーシャル・マクルーハン: Understanding Media: the Extensions of Man (1964):

 われわれの文化は統制の手段としてあらゆるものを分割し区分することに長らく慣らされている。だから操作上および実用上の事実として『メディアはメッセージである』などと言われるのは、ときにショックとなる。このことは、ただ、こう言っているにすぎない。いかなるメディア(すなわち、われわれ自身の拡張したもののこと)の場合でも、それが個人および社会に及ぼす結果というものは、われわれ自身の個々の拡張(つまり新しい技術のこと)によってわれわれの世界に導入される新しい尺度に起因する、ということだ。

小林 啓倫 : 今こそ読みたいマクルーハン 電子書籍版 (株式会社マイナビ, 2013) 位置No.773/2576.

さて、「メディア(テクノロジー)は人間の身体を拡張し、感覚も拡張する」というのがマクルーハンの基本的なメディア観でした。

小林 啓倫 : 今こそ読みたいマクルーハン 電子書籍版 (株式会社マイナビ, 2013) 位置No.752/2576.

マクルーハンの頭の中では、「メディア=テクノロジー=身体の拡張=感覚の拡張」という等式が成り立っているわけですね。

小林 啓倫 : 今こそ読みたいマクルーハン 電子書籍版 (株式会社マイナビ, 2013) 位置No.364/2576.

マクルーハンの言葉の真意がどこにあるにせよ、彼がメディアについて、「社会環境を変化させてしまうほどの存在」と捉えていたことは明らかです。

即ち、以下の関係が導かれる:

 メディア=われわれ自身の拡張したもの=技術

これらが、社会環境を変化させてしまうほどの存在なのである。

これは、人間の本能の所業であると考えることができる。

すなわち、人類はその誕生の瞬間からして、その存在を外部エネルギー源に依存している。人間は、その体内で生産される熱だけでは生きていけない。外部からの熱供給(食糧の加熱調理、暖房 など)が必要である。人間は、ヒトという生物個体では生存できず、われわれ自身の拡張したものがなければ、生きていけない。

故に、人間が、われわれ自身の拡張したものに強く影響を受けることは、生存の希求の故であり、即ち、本能の問題である。

さて、メディア、われわれ自身の拡張したもの、技術という 3つに共通な概念は、再現性と、入出力関係に関する知識である。

メディア(=われわれ自身の拡張したもの=技術)として、以下の 4種類が挙げられる:

(1) 情報媒体、記憶・記録手段
(2) 周囲環境、身の回りの家具・建具・調度品、建築、都市
(3) 社会、制度
(4) 技術

これらは、以下に留意することにより、さらに拡張が可能である。

・共通な特徴である: 再現性と、入出力関係に関する知識
・例としての:    メディアと、技術

見事

清水建設の CM の「きっと、見事にできるよね」から、以下を想起した:

見事=良い は、哲学である。

真と美の融合

今井 彰 : プロジェクトX リーダーたちの言葉 (文藝春秋, 2001) p.144.

「図面を描いて美しいと感じる飛行機、それが最も性能の良い飛行機である」土井 [:土井武夫、3式戦「飛燕」を設計] が生涯大切にした航空機設計士としての不変の哲学だった。

朝や昼間のミネルヴァの梟

ある事柄が、それが実現する寸前まで極めて低評価であったが、実現後に高評価になることがある。

開業前、新幹線は世界三大無用の長物だと言われた。

ライト兄弟以前に、ウィリアム・トムソン(ジュール=トムソン効果等の功績。初代ケルヴィン卿)は、「空気より重い機械が空を飛べるわけがない」と言った。

これは、ミネルヴァの梟は、朝や昼間には飛ばない、のだと比喩できる。

ミネルヴァの梟は、黄昏の到来とともにのみ、その翼を拡げる ――朝や昼間には飛ばない。

科学用語における言葉選び

人間・人類による宇宙の見方は、言語によって共有される。この共有によって累積性を発揮する仕組みが、「科学」という仕組みである。

言葉は、宇宙の〈姿〉即ち〈ある見方による写像〉に合わせ、定義され分割されるべきである。それが達せられるように言葉の定義は修正されるべきだが、それが成っている範囲において、累積性のために言葉の定義は同一であるべきである。

であれば言葉は定義だけで存在するのか。科学が単独に存在するのであれば、そうであろう。

しかし、科学は、知の全てではない。ミネルヴァの梟は、夕暮れに飛び立つ。宇宙の実際的課題に取り組む最前線は、厳密な科学の領域ではない。そこにおいて仮説を立てる過程は、従来知からの類推、あるいは従来知を足の一つにした帰納である(その際に、科学が要求する厳密さは省かれる)。それを可能にする手段のひとつが、科学用語における適切な言葉選びである。知全体における、メタ知識同士の整合性である。

初出:
Facebook 2014/11/ 2 22:21

ヒトの意識には、正のバルク・エントロピー指向性がある

先週、阪急電鉄神戸線で、同社の8000系車両 8000Fに乗りました。

加減速の際に、制御に用いられている GTO-VVVFインバータ 由来の磁励音(磁歪音)が響きわたります。

8000系の第1編成である8000Fの登場は、1989年。以降の新型車両にも、VVVFインバータは搭載されていますが、音はだんだんと小さくなっています。

そのことについて、1年前に
  技術が無臭になっていく
という記事を書きました。

今回、車内で、磁励音が、私がパワーエレクトロニクス(強電制御)に興味を持つきっかけであったことを、思い出しました。

インターネット上には、VVVF制御に関する膨大な知識があります。しかし、磁励音が聞こえなくなった時、それにアクセスしようとする人は、激減するでしょう。

磁励音は、全く無駄なものです。しかし、ヒトは、無駄なものを認識します。逆に、全く無駄がないものを、ヒトは認識しないのでは、ないでしょうか。

ヒトの意識には、不可能・不快・無駄に向かう指向性がある、と言えます。

不可能・不快・無駄は、見かけのエントロピー(バルク・エントロピー、と呼びましょう)が大きい状態です。

ヒトの意識には、正のバルク・エントロピー指向性があるのです。

この指向性が、ヒトが知能を持ち、人類が高度に知的である原因の一つでしょう。

「ミネルヴァの梟」との出会い

「ミネルヴァの梟は、黄昏の到来とともにのみ、その翼を拡げる」あるいは「ミネルヴァの梟は、夕暮れに飛び立つ」。(ゲオルク・ヘーゲル, Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770-1831)

私が、はじめてミネルヴァの梟のことを聞いたのは、2004年10月12日に、京都大学百周年時計台記念館(百周年記念ホール)にて行われた、京都大学 春秋講義「エーゲ海の流れ星――気象学の歴史を考える――」(講師: 京都大学理学研究科名誉教授 廣田 勇 氏)の場であった。当時のノートに「アテナ=ミネルバ」とメモしている。なお、同氏は、当時、日本気象学会の理事長であった。

私は、当時、大学4回生で、気象に関連する研究をはじめたばかりであった。

その後、同氏の著作「気象解析学―観測データの表現論」を読んで、「ミネルヴァの梟」について知った。

同書の8章(最終章)は、章題が「ミネルヴァの梟 あるいは現象論の復権について」である。章の冒頭に、「ミネルヴァの梟」が解説され、著者のご親族であろうか、廣田 和子 氏 作の「ふくろう」(1993)という木版画が挿れられている。

グリーン車とWebサービス――モノによって人を動かす

水戸岡 鋭治 : 水戸岡鋭治の「正しい」鉄道デザイン―私はなぜ九州新幹線に金箔を貼ったのか? (交通新聞社, 2009) p.86.

身の回りのスペースが広がること、サービスが違うこと、椅子の機能が少し違うこと、そのことによって人の身ぶりはかなり違ってきます。グリーン車にいると人は優雅な身ぶりになります。

関連: 人を動かす手段

グリーン車とWebサービスは、(a)モノの抜群の機能 と (b)アーキテクチャーによって、その現実・仮想空間における人の行動を変える。

グリーン車の (a)座席・車両の機能と、 (b)鉄道車両として閉鎖空間性、
Webサービスの (a)知識取得支援機能、知識共有機能、知識創造支援機能と、 (b)機能の制限(例: Twiterにおける140文字制限、など)
が、それぞれに当たる。

アーキテクチャ – Wikipedia [2014年7月8日 (火) 10:44 の版]

人間の行為を制約したりある方向へ誘導したりするようなウェブサイトやウェブコミュニティの構造、あるいは実際の社会の構造もアーキテクチャと呼ぶ。ローレンス・レッシグは、著書『CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー』において、人間の行動を制約するものとして、法律、規範、市場、アーキテクチャの4つを挙げた。

取締りと刑罰によって行動を制約する(法律)、道徳を社会の全員に教え込んで行動を制約する(規範)、課税や補助金などで価格を上下させて行動を誘導する(市場)といった手法のほかに人間の行動を制約する手法として、社会の設計を変えることで社会環境の物理的・生物的・社会的条件を操作し人間の行動を誘導するという、「アーキテクチャによる制約」が考えられる。社会の仕組みを変え、ある選択肢を選びやすくする・ある行動を採ることが不快になるようにするといった環境に変えることにより、社会の成員が自発的に一定の行動を選ぶように誘導し、取り締まりを行ったり子供たちに規範を教育するよりも安いコストで社会を管理することができる。

関連: 「アテネの学堂」のデザインの参考になるもの

モノの抜群の機能により、現実が影響を受けて変化する

モノのデザインは、アフォーダンス(モノに備わった、人が知覚できる「行為の可能性」――アフォーダンス – Wikipedia [2013年11月18日 (月) 12:54 の版])によって、人にそのモノの使用法を認識させる。

対して、モノの機能は、その発現によって現実が変化する可能性を人が知覚することによって、人に現実の操作法を認識させる。そして、モノがもつ機能が抜群であれば、現実がその影響を受けて変化する。

本記事では、後者について説明する:

モノの機能は、人に現実の操作法を認識させる

まずは、実例として私の体験を紹介する: 私が使用するある洗面所では、洗面台(洗面器でない平板)が水しぶきによって濡れるので、少し前に布巾が置かれた。濡れた洗面台を使用者が拭くためにである。私は、あまりその布巾を使わなかった。
その後、窓掃除に使われるスクイジーが置かれた。私は最初 好奇心でスクイジーを使った。見事に、洗面台の水が掻き取られた。今では毎回、スクイジーを使って、洗面台の水を除いている。

モノに機能があり、どのような機能があるのかを人が知っていることは、人にそのモノを使おうという意思を生じさせる。モノの機能が抜群であるほど、人に生じる、そのモノを使おうという意思は強くなる。

細かく言うと、現実を対象に、そのモノの機能の発現によって現実が変化する可能性を知覚することにより、人は現実の操作法を認識する。その「現実の操作法」=「モノの機能の発現」が、その人が現実において実現しようとする状態に向かわせる方法に当たり、費用対効果(リスク対プロフィット)が割に合えば、その人は、そのモノを使用する。

モノの抜群の機能により、現実が影響を受けて変化する

さて、人が現実において実現しようとする状態は、ひとつではない。

再び実例として 私の体験を紹介する: 私は、ある朝、交差点を渡る直前で、緑の明滅信号になったので、止まろうとした――この時、私には、交通規則の遵守が「快」であり、これを実現しようとした。
しかし、後ろからきた人が交差点を渡り始めたので、自分も渡った――この時、私には、「後ろからきた人」に遅れないことが「快」であり、これを実現しようとした。

人が現実において実現しようとする状態がひとつではないため、そのどの状態を選ぶかに、利用できるモノにどのような抜群の機能が備わっているかが影響する。従って、現実は、モノの抜群の機能の存在に影響を受けて、変化する。

なお、抜群の機能は、設計と管理された生産により作り込まれるので、設計と生産行為が、現実を左右することになる。設計と生産行為の知的基盤は技術である。「技術決定論」が現象として現実に表れる機序(メカニズム)は上記なのだ、と私は考える。