東北の震災から、5年が経ちました。今年は、震災の時と、曜日の並びが同じだったので、思い起こすことが多かったです。
鶴市作戦(つるいちさくせん)とは、福島第一原子力発電所事故への対処を目的に計画された、ヘリコプターで原子炉にホウ酸を注入する作戦です。実際には、実施されませんでした。
鶴市作戦 – Wikipedia [2016年2月24日 (水) 08:46 の版]
後年、陸上幕僚長だった火箱芳文は、このときの心境について「このままだと日本は福島で分断され、国は滅びる。(隊員に)犠牲は出るかもしれないが、やるしかないと」[1]と述懐している。
日本列島は、細長いので、どこで広域かつ将来にわたる事故が起こっても、国土内の有機的な連携が減じられます。
それに加えて、福島は、東京(江戸)に対する要衝です。
福島は、昔でいう磐城平藩と会津藩から成ります。福島第一原子力発電所の場所は、昔の磐城平藩の領内です。
磐城平藩は、譜代の藩でした。幕末には、老中 安藤信正を出しています。
会津は、幕末の会津藩主 松平 容保 から分かるように、徳川を支える土地でした。歴代藩主を見ても、徳川家康の孫である保科正之、徳川家康の義子である蒲生秀行(秀吉の時代にも治めていた)がいます。関ヶ原の戦いの前には、上杉景勝が治めていました。