科学は技術化した

私の中で科学は技術化した。

技術の反対語は

I氏によれば、技術とは、(特別な能力をもっていない人でも、特別な訓練を受けていない人でも)誰にでも同じ物を作れるようにすることである。

つまり、人による物事の実現に関して、個人の能力を高める教育とは全く逆のアプローチなのである。

茂木 健一郎 : 思考の補助線 (ちくま新書, 2008) p.207.

研究を行う者が天才であろうが、秀才であろうが、そのような人物としての特性にはかかわらずに、ある方法論に従ってさえいれば、収集するデータの有効性や理論の普遍性が担保される。天才がやらなければ成功しないというような実験には科学としての意味はない。どんなに平凡な人間でも、性格の悪い人でも、善意に満ちた人も、あるプロコトルに従って操作さえすれば、同じ結果が出る。これが、科学という知的営為の偉大なる大前提である。

何らかの手段を使って観察し、無益・無意味と思われることでも記載すること

● 無益・無意味と思われることでも記載すること。

● 感覚器そのままではなく、何らかの手段を使って観察すること。

これらは、次の一連の知的作業の始まり(1)になる。

(1) 感覚器・工業的手段、或いはこれらの組み合わせによって観察して、記載する。

(2) 記載を分類する。

(3) 一般化された記載事象が現れる条件を見いだすために実験する。

(4) 条件と記載を合理的に繋げられる理論を推定し検証する。

条件と記載の関係が分かれば、記載から条件を知ることができる*。記載に含まれる「暗号」を解読して、ヒトが知ることができるのだ。

十分に確からしい理論が得られれば、多くの記載と条件の関係をヒト語で表現でき、それをヒトは理解できる。また、宇宙の道理をヒト語で表現し、ヒトが知ることができる状態への道が一歩進む。

* 論理的にはそうは言い切れない。しかし、記載が多くの情報をもっている場合には、条件から記載を高い確度で推測できるだろう。

初出:
2011/2/27 2:18am
2011/2/27 7:29pm
2011/2/27 7:30pm
2011/2/27 7:52pm

これらは、橋本 毅彦 : 描かれた技術 科学のかたち―サイエンス・イコノロジーの世界 (東京大学出版会, 2008) p.142~「鉄の結晶」、p.150~「冬の華」などを読みながら書いた。