有害物質に対して、社会はどうあるべきか

有害物質に対して、社会はどうあるべきか東日本大震災において、福島第1原発から流出した放射性物質による放射線は、科学と社会の関係をこじらせた。

1990年代のダイオキシン問題、そして昨今の豊洲の地下水問題も同じである。

すなわち、時代に関わらず、科学と社会の関係をこじらせる 一大テーマがある:

有害物質の問題だ。*

有害物質に関しては、以下の3項目をきっちり認識しておくべきである。

・あらゆる物質が、有害度合いの差こそあれ、害がある。

・自然物でも人工物でも、成分が同じであれば、その有害度合いは変わらない。

・(有害物質を体に取り込んだ量の蓄積) マイナス (害の解消量) により、被害の程度が決まる。

この認識を、社会が共有していなければならない。一方で、社会は安心を要求する。この両者を相立たせるために機能するのは政府や企業ではなく、各個人である。「私たちは、複雑さに耐えて生きていかねばならない」(皇后陛下 (美智子 様)。1998年、国際児童図書評議会、第26回世界大会での基調講演での御言葉。岸田 一隆 : 科学コミュニケーション――理科の〈考え方〉をひらく (平凡社新書, 2011) p.153.) のである。

そのためには、初等教育で教え込むべきである。

よい機会になるのが、理科の化学実験実習である。化学実験実習の前に、時間を用意して教えるべきである。

実験において扱う試液類は有害であることを理解させた上で、その安全な扱い方を学ばせるのだ。児童は、実験実習においてふざけることが、悪であると自覚するだろう。

これは、実験室内にとどまらず、未知の物質・脅威・問題に直面したあらゆるときに落ち着いた対応行動をとるための躾になるかもしれない。化学実験実習の際には、そのような応用を、児童に動機づけるべきである。

* より一般的に表現すれば、リスクの問題である(ここまで一般化すれば、科学分野だけの問題ではない)。

初出:
Facebook 2017/ 3/11

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