ハインリッヒの法則と千三つ、神の平等

ハインリッヒの法則では、重傷災害 1件の裏には、29件の軽傷災害、300件の無傷害事故があるという。即ち、重傷災害は、重傷・軽傷・無傷害事故全体の 1/330 ≒ 3/1000 である。

「千三つ」では、 新しいこと 1000個のうち成功するのは 3個であるという。確率は、3/1000 である。

千三つ(センミツ)とは – コトバンク

2 《千に三つくらいしか話がまとまらない意》土地・家屋の売買や貸金などを斡旋(あっせん)する職業。また、その人。「千三つ屋」
3 《千品目出しても当たるのは三品目くらいの意》食品業界で、新商品の開発の難しさをいう言葉。

重大な失敗と、成功の確率が、同じ3/1000であるのは、神による平等だろうか。

重大な失敗は、大抵、いきなりは起こらない(神がチャンスをくれる)。それと共に、成功もなかなか起こらない。

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安全綱領をいかにお題目にせず、実際的なものにしていくか、が大事

2017年12月11日に新幹線車両の台車に亀裂などが発見された重大インシデントからの思索:

JR西日本の安全憲章に表現を若干変えて受け継がれている国鉄の安全綱領

1.安全は輸送業務の最大の使命である。

5.疑わしいときは、最も安全と認められるみちを採らなければならない。

をいかにお題目にせず、実際的なものにしていくか、ということこそが大事だ。そのために、機械から心理までの研究が必要だ。

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問題を解決したら もっといい全体解が実現される

問題を解決したら もっといい全体解が実現される例:

松平精の新幹線台車開発の回顧

当時の車両の振動は、現在の車両にくらべると数倍の大きさであって、特に電車の振動はすこぶる大きく、その乗り心地は極めて悪いものであった。従ってこのような電車を長距離列車にすることは思いもよらぬことであった。

 ところが当時工作局動力車課長であった島秀雄氏はそのころから電車列車論者で、その持論を実現するためには、電車の振動を徹底的に改善する必要があるとし、その要望を筆者に依頼されたのである。

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壊れた原因を知りたければ壊れていない部分を見よ、例: 山陽本線 光-下松間 列車脱線転覆事故(1947年)


の例が見つかった:

松平精の零戦から新幹線まで

(太字は、ブログ筆者による)

昭和22年7月山陽線の光-下松間で旅客列車が脱線転覆し、多数の死傷者を出すという大事故が起こったが、この事故調査のためさっそく調査委員を命ぜられ、またまた事故に関係することになった。しかも、その後国鉄では貨物列車の脱線事故が頻発し、その事故調査に忙殺される破目になったことは、まことに皮肉なことである。

 この光-下松問の列車事故は、D51形式蒸気機関車が重連で客車を牽引していたのが、機関車が真っ先に脱線し、続いて客車が脱線転覆して海中に墜落したものである。事故直後現場に駆けつけて調べていると、無残に破壊された線路の中で、特に筆者の目にとまるものがあった。それは、推定脱線箇所の先の軌道は寸断して散乱しているのに対し、その手前の部分は一応原形をとどめているが、そこの50mぐらいの間のレールが左右にサイン波状に大きく曲がっていることであった。そのとき同行した古くからの鉄道技術屋たちは、この事実に殆ど興味を示さなかったが、筆者には、これはD51が左右に大きく振動したために印加された痕跡に違いないと思われた。するとD51には高速で自ら左右に振動する本質的性向があるのではなかろうか。もっと一般的には、鉄道車両にも飛行機のフラッタと同様な自励振動が存在するのではないかとの疑いが頭に浮かんだのである。

S22.7.1 山陽本線 光-下松間 列車脱線転覆事故 ( 鉄道、列車 ) – 昭和を中心とした ミニ鉄道資料室 – Yahoo!ブログ

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狩勝実験線

狩勝実験線は、かつて国鉄(日本国有鉄道)が北海道に保有していた実験線です。

1963年の鶴見事故を受けて整備され、脱線実験などが行われました。1972年の北陸トンネル火災事故を受けて走行車両の燃焼実験が行われました。

高松 良晴 : 新幹線ネットワークはこうつくられた (交通新聞社, 2017〈底本は交通新聞社新書 (2017)〉) 位置No. 1971/3018.

[北陸トンネルの] 火災事故直後、国鉄は「鉄道火災対策技術委員会」を設け、1972年(昭和47年)12月の大船工場での定置車両の燃焼実験、1973年(昭和48年)8月の北海道狩勝実験線における走行車両の燃焼実験、そして、1974年(昭和49年)10月の宮古線(現在の三陸鉄道北リアス線)の猿峠トンネルでの、トンネル内走行中車両の燃焼実験などを重ねた。

高松 良晴 : 新幹線ネットワークはこうつくられた (交通新聞社, 2017〈底本は交通新聞社新書 (2017)〉) 位置No. 2625/3018.

鶴見事故(1963年)に対し、

しかし、国鉄は「競合脱線を理由にして、事故原因をあいまいにしておくことは良くない。どうしても脱線のメカニズムを解明する必要がある」と判断し、狩勝脱線実験線の設置を決断した。

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設計と意匠

設計と意匠を、英語にすると、ともにデザイン(design)である。

この繋がりは、設計と意匠の意味をお互いに補完し、豊かに、実・身のあるものにする。

設計は、計を設けること。予測行為である。予測と計測・確認である。定量的である。

意匠は、匠の意。意思に合うように導くことである。意匠は、芸術ではない

対象は、機械であり、人であり、組織間の関係であり、社会である。

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国鉄の安全綱領

安全確保に向けた基本方針|JR東海

昭和26年の京浜東北線桜木町駅における事故を契機として国鉄時代に制定されたもの

安全綱領

1.安全は輸送業務の最大の使命である。

2.安全の確保は、規程の遵守及び執務の厳正から始まり、不断の修練によって築きあげられる。

3.確認の励行と連絡の徹底は、安全の確保に最も大切である。

4.安全の確保のためには、職責をこえて一致協力しなければならない。

5.疑わしいときは、最も安全と認められるみちを採らなければならない。

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SpaceX のロケット着陸失敗まとめムービー

「宇宙兄弟」の

  「モノ作りには、失敗することにかける金と労力が必要なんだよ。」

という言葉を思い出した:

失敗してもへこたれず成功するまで諦めない大切さがわかるSpaceXのロケット着陸失敗まとめムービー – GIGAZINE

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労働だけが通貨の基礎となる

言葉の杜=編 : アドルフ・ヒトラー 400の言葉: 世界を変えた意志の言葉 (2016) 位置No. 1295/2242.

労働だけが通貨の基礎となる。私たち民族を救うことは金融の問題ではない。現に存在する労働力をいかに活用し、いかに投入するかという問題であり、また現に存在する土地とその資源をいかに活用するかという問題である。この民族共同体は貨幣というフィクションの上の価値によって生きるのではなく、現実の生産によって生きるものであって、この現実の生産がまた貨幣にその価値を付与するのである。

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機械と一般市民

1850年代まで、ヨーロッパでは、機械と一般市民は隔てられていた。

トレイン・シェッド – Wikipedia (2017年7月21日 (金) 22:04 の版) 抜粋

トレイン・シェッド(英語: train shed)は、鉄道の駅においてプラットホームと線路を同時に覆う大きな屋根である。

19世紀のヨーロッパでトレイン・シェッドが生まれた背景には、都市とその外の田園を区別する当時の意識がある。蒸気機関を用いた鉄道はもともと鉱山で用いられていたものであり、田園の側に属するものである。それが都市間の交通機関へと発展しても、そのまま都市の内部に受け入れることには抵抗があった。そこで列車の発着する場所をトレイン・シェッドで覆い、さらにその前面に駅舎を建てて市街地に対する顔としたのである[13]。駅舎は新たな工業製品である鉄道に対する抵抗感を和らげるため、あえて古典的な意匠が採用されている。このため、当時の駅は「半分工場、半分宮殿(mi-usine, mi-palais)」と呼ばれる二面性を持つことになる[39]。

鉄道を利用する旅客はまず駅舎内の待合室に案内され、列車の発車直前になってからトレイン・シェッド内のプラットホームに導かれた。19世紀半ばまで、一般の市民がこうした段階を踏まずに工業的機械である鉄道に接することは難しいと思われていたのである。しかし1860年代になると、駅の入口とトレイン・シェッドを待合室を経ずに結びつけるコンコースが現れ、都市と鉄道の距離が縮まる。やがて駅舎によってトレイン・シェッドを覆い隠す必要もなくなり、シェッドが露出したデザインが現れてくるが、後にはトレイン・シェッドそのものが不要とされるに至った[40]。

一方アメリカでは、工業の市内への侵入に抵抗する意識はヨーロッパほどではなく、都市間の鉄道の車両が市内の併用軌道に乗り入れることは珍しいことではなかった。アメリカでトレイン・シェッドの発達が遅れ、またヨーロッパより先に廃れたのにはこのような理由もある[41][21]。

対して、1750年頃(「百科全書」の刊行は、1751年から1772年まで)、フランス百科全書派及びブルジョアは、機械を重視した。

一般の人が技術を持たねばならない

ディドロ, ダランベール=編, 桑原 武夫=訳編 : 百科全書―序論および代表項目 (1971, 岩波文庫) p.398.

多田 道太郎による解説「『百科全書』について」より。

 なぜ百科全書派は技術を重視したのか。理由はかんたんである。それがブルジョアジーの利益になるからである。総じていえば「所有が市民をつくる」というブルジョア的立場が『百科全書』のほとんどを貫いており、したがってブルジョアの武器、道具としての技術が、新しく重視されることになったのである。

(1850年代までヨーロッパでは、都市には、機械に対して 2層が存在した。一般市民とブルジョアである。)

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