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カテゴリー: 産業遺産・技術史
目立つ技術の現代史。ソフトウェアから、軽なハードウェアとAIへ
私の中に1990年代から鬱積していたソフトウェア技術への憧れは、2000年にパソコンを持ち、インターネットに繋がり、そして Google が巨人になっていく様をみるにつれ、確固たるものになった。目立つ技術はソフトウェアにあった。
しかし、2007年の iPhone 登場から、目立つ技術はハードウェアに向かった。スマートフォン+ガジェット という組み合わせで新たにできることが広がったのだ。目立つのは、画面の中ではない。画面の外(ハードウェア。軽重でいえば、軽なハードウェア)である。
そして、任天堂は、ゲーム機+段ボールガジェット という組み合わせ「Nintendo Labo」(「はぁ~なるほど!」が飛び交った、『Nintendo Labo』のピアノをハンズオン | ギズモード・ジャパン, 本日発売「Nintendo Labo」の親子体験記【基本編】。驚きと感心の連続で,作る過程から面白い! – 4Gamer.net)を商品化し、段ボールガジェットの工作を遊びに組み込んだ。
2018年 現在は、見える軽なハードウェアと、見えないAI (深層学習を中心)が、 目立つ技術である。
これが、文化と相互作用している。
昔の乾電池
100年近く前の乾電池で電卓が
起動しました((;゚Д゚)
まだ発電しているみたいです…… pic.twitter.com/hUhKiRO4nr— ノイビス@比叡提督 (@hieiteitoku1121) 2017年6月24日
この子が一番元気でした。
昭和30年代、富士電機の乾電池。
未使用品なのかも|ω・`) pic.twitter.com/tlHbP3Nlm3— ノイビス@比叡提督 (@hieiteitoku1121) 2017年6月24日
電卓に何かあるのではないかと
疑われてしまったので、乾電池
で動作している証拠の動画も
載せておきますねヾ(⌒(ノ'ω')ノ
雑音ありなのでご注意を。 pic.twitter.com/zs2zlZYxnd— ノイビス@比叡提督 (@hieiteitoku1121) 2017年6月24日
うちにあるコレクションは価値な
ど関係なく全て家宝であります。
写真の物はその中でも珍しい?
ってやつですね(´・ω・`) もう一つ
あるんですが、今は整備中|ω・`)
電池なんて残っていた意味が分か
らないです(笑)普通捨てる物です
からね。 pic.twitter.com/sWChyxWSCv— ノイビス@比叡提督 (@hieiteitoku1121) 2017年6月17日
なお、乾電池は、日本人・屋井 先蔵 により発明された(1887年):
乾電池 – Wikipedia (2017年6月20日 (火) 21:34 の版)
乾電池は、小型湿電池の性能に不満を抱いた日本の時計技師屋井先蔵が、より取り扱いが簡素でまた日本の寒冷地でも使用可能な時計用小型一次電池「屋井式乾電池」を発明。
マーキュリー計画
「ドリーム 私たちのアポロ計画」邦題変更 「ドリーム」に – ITmedia ビジネスオンライン
[2017年] 9月29日公開の映画「ドリーム 私たちのアポロ計画」(原題:Hidden Figures)のタイトルが、6月9日「ドリーム」へと変更になることが決定した。「私たちのアポロ計画」という副題に対し、「アポロ計画ではなく、マーキュリー計画を扱った作品であり、内容に即していない」といった批判の声がファンから上がっていた。
映画『ドリーム 私たちのアポロ計画』邦題が酷すぎると炎上!何が何だかわからないタイトルに変更決定:はちま起稿
マーキュリー計画を描いた書籍・映画と言えば、「ライトスタッフ」があります。
岡田斗司夫ゼミ 2016年 7月24日号「模型でまなぶ宇宙開拓史~最高の頭が良くなるおもちゃレビュー」
(33分57秒から「ライトスタッフ」について)
関連:
ディーク・スレイトン。 #ライトスタッフ ( #マーキュリーセブン )且つ #アポロ13
— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) 2017年3月11日
そろばんが合体した電卓
信じてくれないと思いますが、昭和の時代、電卓が普及しつつもその計算結果が信用できない人向けに、そろばんが合体した電卓がありました。いまでいうと、エクセルが信用できず電卓で検算するストロングスタイル。 pic.twitter.com/tyY5tpmSyz
— SHARP シャープ株式会社 (@SHARP_JP) 2017年6月3日
カシオ・純電気式計算機「14-A」(1957年商品化)
世界初の小型純電気式計算機「14-A」が動いているところ。割り算を入力したら、カシャカシャ処理してるのがカッコいい pic.twitter.com/FyEBkkoCJV
— すずき@樫尾俊雄発明記念館 (@michsuzu) 2017年5月2日
技術史を考えるとは、「結び」を考えること
技術史を考えるとは、「結び」を考えることである。
関連:
しくみの発達博物館
ムスビと「ものづくり」
コンピュータを創った偉人たち
日本電子計算機株式会社(現、株式会社 JECC(ジェック)) JECC NEWS 2010年7月号~2012年12月号:
(1) ジョン・フォン・ノイマン(1903~1957年)
(2) アラン・チューリング(1912~1954年)
(3) ウィリアム・ショックレー(1910~1989年)
(4) ジョン・モークリー(1907~1980)/ ジョン・プレスパー・エッカート(1919~1995)
(5) チャールズ・バベッジ(1791~1871年)
(6) クロード・エルウッド・シャノン(1916~2001年)
(7) コンラート・ツーゼ(1910~1995年)
(8) ジョン・ヴィンセント・アタナソフ(1903~1995年)
(9) ハワード・エイケン(1900~1973年)
(10) ジェイ・ライト・フォレスター(1918~ )
(11) グレース・マリー・ホッパー(1906~1992年)
(12) ブレーズ・パスカル(1623~1662年)/ ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646~1716年)
(13) ヴァネヴァー・ブッシュ(1890~1974年)
(14) ジョージ・ブール(1815~1864年)
(15) エイダ・ラブレス(1815~1852年)
口蹄疫と自動車エンジン
Weekly Report: ○コンセントは? EVに思わぬ難敵 (2010/ 7/21 確認, 現在ページ消失)
ガソリン自動車が蒸気自動車を駆逐した経緯は、口蹄疫の蔓延で馬用の水桶が失われ、インフラの優劣が逆転した事にその発端がある。
梶井 厚志 : 戦略的思考の技術 (中公新書, 2005) p.134.
口蹄疫は1914年北アメリカでも大流行したのであるが、一説によるとこのときの口蹄疫の流行が、現在の自家用車にガソリンエンジンが搭載されるきっかけになったという。というのも、当時は蒸気エンジンも自家用車の動力として使われていたのだが、口蹄疫の流行を防ぐために馬用の水桶が撤去されてしまい、水道の普及が都市部にとどまっていた当時では、蒸気エンジンを搭載する車は動力源の水の補給を断たれてたいそう使いにくいものになってしまった。そのため、水を必要としないガソリンエンジンの研究開発が盛んに行われたというのである。
奥村 憲博 : 経路依存, ロック・インとグローバル・エネルギー戦略. IEEJ (2007年3月掲載).
現在はガソリン車が市場を支配しているが、20 世紀初頭では、それぞれに不確実性を有した蒸気エンジン車、ガソリンエンジン車及び電気自動車の3つの候補が、競争を展開していた。内燃機関も、適正な品質等級のガソリンが得られにくいこと、危険であること、内燃機関エンジンはより多くの洗練された作動を蒸気エンジンより必要とされること等、多くの欠点を有していた。当時の蒸気エンジン車は、技術的・経済的両面でガソリンエンジン車と同等であった 6)。
しかしながら、次のように歴史はガソリン車に有利に展開し、
・ 電気自動車にとっては、当時の米国の電力グリッドが地方には展開していないことがハンディ
・ 蒸気エンジン車にとっては、口蹄疫という伝染病が馬にはやったことから道路脇に水桶を設置することが条例で禁止されたことがハンディ
そして最初の 10 年間で、ガソリン車は、電気自動車及び蒸気エンジン車を数桁のオーダーで引き離した 7)。もし最初の自動車の出現が 20 年程度後れていたとしたら、今日の自動車のエンジンは、. 内燃機関ではなかったかもしれない 8)。当該事例は、ある意味典型的な経路依存性を示している。
6) D. Kirsch; Flexibility and Stabilization of Technological Systems: The Case of the Second Battle of the Automobile Engine (Program in History of Science and Technology, Department of History. Stanford University), (1995).
7) J. Foreman-Peck; Technological Lock-in and the Power Source for the Motor Car, Discussion Papers in Economic and Social History, Vol7(University of Oxford), (1996).
8) B. W. Arthur; On Competing Technologies and Historical Small Events: the Dynamic of Choice under Increasing Returns, Working Paper (IIASA, Austria), (1983) 83-90.