圧倒的優位性を実現する装備として、シミュレータがある。
なぜならば、圧倒的優位のひとつの形態として、「不可能を可能にする」ことが挙げられる。
「不可能を可能にする」ひとつの方法として、針穴のように範囲の狭い正解を実現するという方法がある(*)。
そのためには、正解を、予め知っておかなければならない。二律背反な様々な性質を、ちょうどいい具合に掛け合わせる正解(トレードオフの解決)である。どうしても生じてしまう短所には、それを補う付加装置の取り付けを決定し、準備しておかねばならない。
さらに困難な「不可能」を「可能にする」には、「不可能を可能にする」ことを連続的に実現し、ある一連の行動を成功させる必要がある(**)。
“二律背反な様々な性質を、ちょうどいい具合に掛け合わせた正解”を”予め知”るために、シミュレータは、有効である。
シミュレータによって、「不可能を可能にする」。そして、圧倒的優位性を実現するのだ。(そして、大規模シミュレータの最たるハードウェアが、スパコンである。)
さて、シミュレータがもつ本質とは、何だろうか。
それは、「Do × Cancel」、即ち、何かを実施すること 且つ それをした影響を帳消しにして最初から再挑戦することだ、と考えられる。
「Do × Cancel=不可能を可能にする」のである。
シミュレータは、様々な要素現象が重なり合う(総合された)複合現象について、「Do × Cancel」する。
なお、主に(分析された)要素現象について、「Do × Cancel」するのが、実験である。
自由に空を飛ぶという「不可能を可能にする」ために、ライト兄弟は、風洞や、揚力係数直接計測装置や、D/L比直接計測装置という実験装置を製作し、実験した。ライト兄弟に先立つ飛行機の開発者達も、実験装置を作り、実験をした。条件を変えるたびに毎回、試作飛行機を作って飛ばしていたら、操縦者の事故、多くの資金、多くの時間を「Cancel」できず、「不可能を可能に」できていなかっただろう。
ここで、鎌池 和馬氏の「とある魔術の禁書目録」における、主人公・上条当麻の性質を思い出すのである。彼の右手はあらゆる異能(魔術・超能力)を打ち消す性質をもつ:
鎌池 和馬 : 新約 とある魔術の禁書目録 5 (電撃文庫, 2012) p.51.
「そんな世界は怖いだろう? 思い通りのワガママを振りかざすとしても、何か保険が欲しいだろう? 平たく言えば、世界を元に戻すためのバックアップ、基準点とでも言うべきか。その右手は、国際キログラム原器みたいなものかな? 世界を歪めるだけ歪めて、一メートルの長さも一グラムの重さも思い出せなくなったとしても、君の右手はあらゆる魔術を打ち消すのだから、基準点はなくならない。君の右手の長さを、重さを、温度を、それぞれ計測していく事で、全てを歪め過ぎた者は、元あった世界がどんなものだったのかを思い出せる。それは命綱となり、あまりにも方向性を曲げ過ぎてしまった世界を、いつでも元に戻す事ができるようになる」
それが願い。
保険があれば好き放題に暴れられる。
遠慮も容赦も必要なく、己の欲望を好きなだけ巻き散らせる。
そういう意味での、『変える者』が一方的に思い描く、あまりにも身勝手な願い。
「Do × Cancel=不可能を可能にする」という考え方は、シミュレータ、実験に留まらず、さまざまな分野において、役立つ考え方である。例えば、伝統、政治における保守は、革新が行動するときの保険とも見れる。保守勢力は、良いものを保守することだけが、その機能ではないのかもしれない。
最後に、もう一度、記しておく:
Do × Cancel=不可能を可能にする
補 足
*:
再現性をもって正解を実現するために必要な形式知を、技術という。
**:
ここで書いたように、古典物理学に従いながらも、針穴のような範囲の狭い正解を実現する、あるいは、そのような正解を連続して実現し、ある一連の行動を成功させる形態は、”神技”と呼べる。
対して、古典物理学では導き得ない現象を含んだ、ある一連の行動を成功させる形態は、”奇跡”と呼べる。
ごく短時間実現される古典物理学では実現を導き得ない現象も、不確定性原理に基づけば、膨大な数をうてば、その中に実現できる。ここでも、「Do × Cancel = 不可能を可能にする」である。
Do × Cancel は、例えば、電子の世界で可能であり、「不可能」が実現される量子トンネル効果により、走査型トンネル顕微鏡やトンネルダイオード(江崎ダイオード)は機能している。