堀越二郎は七試艦上戦闘機の設計主任になった時、30歳未満だった

堀越二郎は七試艦上戦闘機の設計主任になった時、30歳未満だった吉村 昭 : 零式戦闘機 (新潮文庫, 1978) p.19.

 堀越[:堀越 二郎]は、[昭和7年(1932年)当時] 五年ほど前東京帝国大学工学部航空学科を卒業入社した三十歳にも満たぬ若い技師だったが、航空学に対する研究熱心な態度とわずかな誤りも許さぬ性格が、社内でも特異な存在として高く評価されていた。その上、入社後イギリス、アメリカ、ドイツの航空機会社を視察、殊にドイツのユンカース、アメリカのカーチス両飛行機製作会社では機体設計研究をした経験もあって、七試艦上戦闘機の設計主任としては恰好の存在であると判断されたのだ。

 しかし設計主任者という大任をゆだねられた堀越は、機の試作に従事したことは初めてのことで、どのように手をつけたらよいのかかなりの当惑をおぼえていた。

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