技能としての科学

橋本 毅彦 : 描かれた技術 科学のかたち―サイエンス・イコノロジーの世界 (東京大学出版会, 2008) p.247.

 ファインマン図は、ファインマンから彼の図について、そしてシュヴィンガーから数学的計算法について直接の教授を受けたフリーマン・ダイソンによって利用法が明確化されたが、それでも若い科学者が実際に特定の問題の解決に応用するためにはダイソンやダイソンから直接訓練を受けた物理学者に利用法を教えてもらう必要があった。カイザー[:アメリカの物理学史家 デヴィッド・カイザー]はこのような理論物理学における概念図の利用法の伝達が、論文などの出版物を通してだけでは成り立たず、実際にマンツーマンで教え込まれることによってなされたことを指摘するのである。

強力な力を利用するには

強力な力を利用するには、

 ・強固な連結器

 ・応力緩和装置

 ・制御装置

が必要である。

機関車牽引の列車において、それぞれの役割を果たすのは、以下のとおりである。

 ・強固な連結器 : 機関車-客車の間の連結器

 ・応力緩和装置 : 客車、座席シート

 ・制御装置 : 運転手と機関車の制御装置

科学は技術化した

私の中で科学は技術化した。

技術の反対語は

I氏によれば、技術とは、(特別な能力をもっていない人でも、特別な訓練を受けていない人でも)誰にでも同じ物を作れるようにすることである。

つまり、人による物事の実現に関して、個人の能力を高める教育とは全く逆のアプローチなのである。

茂木 健一郎 : 思考の補助線 (ちくま新書, 2008) p.207.

研究を行う者が天才であろうが、秀才であろうが、そのような人物としての特性にはかかわらずに、ある方法論に従ってさえいれば、収集するデータの有効性や理論の普遍性が担保される。天才がやらなければ成功しないというような実験には科学としての意味はない。どんなに平凡な人間でも、性格の悪い人でも、善意に満ちた人も、あるプロコトルに従って操作さえすれば、同じ結果が出る。これが、科学という知的営為の偉大なる大前提である。

ゲーテの雲の詩

橋本 毅彦 : 描かれた技術 科学のかたち―サイエンス・イコノロジーの世界 (東京大学出版会, 2008) pp.163-164.

ゲーテは、ハワード [:ルーク・ハワード Luke Howard (1772-1864)]の雲の分類論とその変容の理論に注目した。一八二〇年に「ハワードによる雲のかたち」という論文を著し、そこでハワードの雲の分類論を解説し、さらに彼を讃える詩を寄せた。…

層雲

鏡のごとき水面より / 靄[もや]の絨毯湧き上がり
続いて月も上りきて / 霊が霊になるごとく
自然よ、そのときわれらみな / 喜び急ぐ子供なり
靄は山へと立ち登り / 筋広々と重なりて
中位の雲は滞り / 雨にも空気にもなれり

積雲

そしてさらなる高空へ / 空気豊かに集められ
雲高々と積み上がり / 力強くもそびえ立ち
かくて恐れつ体験す / 上轟きて下震う

巻雲

さらに気高き一撃の / 天より軽く放たれる
群れ小片に解けほどけ / 子羊ごとく集まれる
下より流れ生まれきて / 父の手と膝ぬらしゆく

雨雲

高々積み上げられしもの / 大地の力に引かれおり
激しき雷雨に姿変え / 大群となり散りゆくは
能動受動の地の定め! / まなざし高く登りゆき
言葉降りて記される / 心は空に漂えり