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小林一三(こばやし いちぞう,1873-1957)

小林一三(こばやし いちぞう,1873-1957)

実業家。箕面有馬電気軌道(現,阪急電鉄)の専務(1907年)、1927年に社長。東京電燈社長(1933年)、目蒲電鉄・東横電鉄・昭和肥料・三越・日本軽金属の重役。商工相(1940年)。国務相兼戦災復興院総裁(1945年)。1956年に池田市初の名誉市民。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.106.

関連:
小林 一三 | 無窮の偉人研究

池田の偉人 小林 一三 さん

蘇州市に寄ったり、通り過ぎてきました


蘇州市は、池田市の姉妹都市。

前田金吾(まえだ きんご,1896-1945)

前田金吾(まえだ きんご,1896-1945)

政治家。1935年、池田町と秦野・細河・北豊島3村合併後の池田町長に就任。町税制改革、池田都市計画の策定、上下水道整備。1936年焼失の池田小学校の新築、北豊島・秦野小学校の増改築、現,呉服小学校新設。現,ダイハツ工業池田工場建設を実現。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.102.

原田長治(はらだ ちょうじ,1883-1946)

原田長治(はらだ ちょうじ,1883-1946)

実業家・政治家。1914年、『太陽新聞』を創刊。吉田鋭雄・稲束猛共著『池田人物誌』は、長治が代表の太陽日報社から出版(1923・1924年)。池田史談会「池田叢書」5編の印刷も太陽日報社が行った。後に大阪府会議員(3期15年余)。原田憲は子息。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.100.

稲束猛(いなつか たけし,1889-1927)

稲束猛(いなつか たけし,1889-1927)

漢学者・美術史家。稲束芝馬太郎の長男。呉春を研究し、1918-1920年に美術雑誌『国華』『中央美術』に盛んに論文投稿。1923年から重建懐徳堂の講師。吉田鋭雄との共著『池田人物誌』では、牡丹花肖柏の池田来住にはじまる池田文化を体系化した。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.98.

吉田鋭雄(よしだ はやお[orとしお],1879-1948)

吉田鋭雄(よしだ はやお[orとしお],1879-1948)

漢学者・漢詩人。重建懐徳堂の助教授・教授(堂主)。池田史談会の中心的なメンバー。江戸時代の池田の文人に関する研究は、ほとんど鋭雄と稲束猛の成果を基礎としている。稲束猛との共著『池田人物誌』・「池田叢書」5編。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.96.

葛野枯骨(かどの ここつ,1878-1960)

葛野枯骨(葛は下部「ヒ」が正,かどの ここつ,1878-1960)

僧・社会運動家。山口樟蔭の漢学塾や皆川庸匡の伊居太学館で学ぶ。1907年、池田でタブロイド『縦横新報』を発行。1908年1月、同紙は池田師範学校開校(同年4月)を見越した大幅な家賃値上げに反対し、呉服座で公開演説会を開催。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.94.

戸田クマ子(とだ くまこ,1877-1966)

戸田クマ子(とだ くまこ,熊子・久満子とも,1877-1966)

歌人。田中町(現,栄町)の酒造家の家に生まれる。皆川庸匡に師事。「さつき会」(歌集『皐月集』)、「摘草会」(他に曽根田良久子・寺部君子・西村芳枝・石渡万寿子)に参加。歌集『芹の花』・『澄の井』(共に今中楓渓撰)。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.92.