葛野枯骨(かどの ここつ,1878-1960)

葛野枯骨(葛は下部「ヒ」が正,かどの ここつ,1878-1960)

僧・社会運動家。山口樟蔭の漢学塾や皆川庸匡の伊居太学館で学ぶ。1907年、池田でタブロイド『縦横新報』を発行。1908年1月、同紙は池田師範学校開校(同年4月)を見越した大幅な家賃値上げに反対し、呉服座で公開演説会を開催。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.94.

戸田クマ子(とだ くまこ,1877-1966)

戸田クマ子(とだ くまこ,熊子・久満子とも,1877-1966)

歌人。田中町(現,栄町)の酒造家の家に生まれる。皆川庸匡に師事。「さつき会」(歌集『皐月集』)、「摘草会」(他に曽根田良久子・寺部君子・西村芳枝・石渡万寿子)に参加。歌集『芹の花』・『澄の井』(共に今中楓渓撰)。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.92.

多田春子(?-1934)

多田春子(?-1934)

歌人。西之口町(現,西本町)の呉服商の家に生まれる。皆川庸匡に師事。自宅で戸田クマ子・寺部君子・松下茂子・石井愛子・林田炭翁らが「さつき会」(歌集『皐月集』)を結成。春子の歌集は、林田炭翁によって『わくら葉』として刊行。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.92.

皆川庸匡(みながわ ようきょう,1863-1894)

皆川庸匡(みながわ ようきょう,1863-1894)

歌人・国文学者。豊能高等小学校の教員として池田に赴任。和歌・国文学の私塾「伊居太学館(いけだがっかん)」を開く。葛野教譲(葛は下部「ヒ」が正)(枯骨)・岸上又吉・林田松三郎(炭翁)・戸田利氏・戸田クマ子・寺部君子・石井愛子らが師事。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.90.

皆川庸匡に関する収蔵品/池田市

稲束芝馬太郎(いなつか しばたろう,1855-1932)

稲束芝馬太郎(いなつか しばたろう,1855-1932)

蔵幅家・鑑識家。「呉郷春秋会」(設立時は,呉郷審美会。1905年-1944年)の設立の中心人物。1914年には、芝馬太郎を中心にして、池田町長・伊居太神社宮司・池田師範学校の教員らによって「池田史談会」が発足した(~1943年)。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.88.

山口樟蔭(やまぐち しょういん,1827-1905)

山口樟蔭(やまぐち しょういん,1827-1905)

漢学者。漢学所(のちの大学校,京都)の教官、私塾長、十津川藩校、吉野師範学校の教員を経た後、1890年、池田村柳屋町(現,綾羽1丁目)に漢学の塾を開く。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.86.

田村駒治郎(たむら こまじろう,1866-1931)

田村駒治郎(たむら こまじろう,1866-1931)

実業家。貴族院議員。染色法を発展させた。図案意匠に長け、アメリカ生まれの福の神「ビリケンさん」を自社の優秀商品の代表商標に登録。死後、遺言によって多額の寄付を池田町に寄せ、池田公会堂が建設された。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.84.

森秀次(もり しゅうじ,1855-1926)

森秀次(もり しゅうじ,1855-1926)

政治家。1876年、豊島郡古江村(現,古江町)の大地主森家に入る。村会議員、大阪府会議員。1899年、大阪府会副議長。1903年、衆議院議員に初当選。地租修正運動、箕面の公園化、師範学校の設置場所問題に尽力する。箕面公園内に銅像がある。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.82.

北村儀三郎(きたむら ぎさぶろう,1883-1933)

北村儀三郎(きたむら ぎさぶろう,1883-1933)

実業家。実家の酒造業を継ぎ、池田の酒造史『池田酒史』を出版。池田自動車運送株式会社・池田土地株式会社・摂池銀行等で要職を重ねた。1919年には豊中市待兼山で実施された陸軍特別大演習において、大正天皇に御前講演を行う。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.80.