猪名川政右衛門(いながわ まさえもん,1739-1800)
関取。池田生まれ。1756年、初土俵。明和年間(1764-1772年)、大坂相撲での政右衛門と天満の千田川吉五郎の取組は大変な人気を博し、戯曲「関取千両幟」になる。1786年に引退。猪名川部屋創設。1792年に2代目藤島。新町の西光寺に墓。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.48.
猪名川政右衛門(いながわ まさえもん,1739-1800)
関取。池田生まれ。1756年、初土俵。明和年間(1764-1772年)、大坂相撲での政右衛門と天満の千田川吉五郎の取組は大変な人気を博し、戯曲「関取千両幟」になる。1786年に引退。猪名川部屋創設。1792年に2代目藤島。新町の西光寺に墓。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.48.
荒木梅閭(あらき ばいろ,1748-1817) 書家・漢詩人。
荒木蘭皐の四男。書に秀で、大広寺(綾羽2丁目)の田中桐江撰文「牡丹花隠君遺愛碑」、高法寺(綾羽1丁目)の荒木李谿撰文「川田祐作居士遺愛碣」は、梅閭の筆による。荒木家代々が収集してきた書画骨董類の来歴を記す等、整理を行う。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.46.
荒木李谿(あらき りけい,1736-1807)
漢詩人。荒木蘭皐の長男。漢詩文集『大東昭代詩紀』『東雅』。大坂の漢詩文の結社混沌社と池田の懐徳堂関係者に親しく、池田と大坂を文化的に結ぶ役割を担う。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.44.
司馬 遼太郎 の『天明の絵師』は、池田に居住した絵師・俳人 呉春 (1752~1811) が主人公の短編小説です。講談社文庫『最後の伊賀者』に収録されています。
与謝蕪村の弟子。池田での生活では、なかなかの色男として描かれています。
蕪村 亡きあとは、丸山応挙と知り合いになり、大きな影響を受け、写実的な作風に転身して、(現世で) 成功します。
司馬 遼太郎: 新装版 最後の伊賀者 [Kindle版] (講談社, 2014〈底本は講談社文庫(2007)〉) p.193/279.
紹介さきの摂津池田に足をとめると、ほうぼうで重宝がられるままに、腰をおちつけてしまった。池田は猪名川のほとりにあり、「酒都」といわれるほどに富裕な醸造家が多く、それぞれ家屋敷も大きい。どの家もしきりと普請し、建具をかえる。ふすまを更えるたびに絵が必要なのである。
司馬 遼太郎「新装版 最後の伊賀者」(講談社文庫)
Kindle 版
文庫
安藤百福(あんどう ももふく,1910-2007)
実業家。日清食品創業者。1958年、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発明。1971年、世界初のカップ麺「カップヌードル」を発明。財団法人安藤スポーツ・食文化振興財団を創設。名誉市民。正四位勲二等旭日重光章。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.168.
清瀧幸次郎(きよたき こうじろう,1903-1984)
実業家。父・清瀧徳兵衛は1912年に池田実業銀行を設立。1930年に幸次郎が頭取に就任(1945年、住友銀行と合併)。1951年、小林一三(設立発起人。発足後,相談役)の後押しを受け、戦後5番目の地方銀行池田銀行を設立。1965年、名誉市民賞。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.166.
融紅鸞(とおる こうらん,1905-1982)
日本画家。夫は胡桃沢源人。石橋に住む。帝展・新文展・日展で入選を重ね、1941年には「赤光社」を主宰、後進の育成に力を注ぐ。ラジオ「悩みの相談室」での決め台詞「あんさん、別れなはれ」が有名。著書『体当たり人生』『極楽女房』等。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.164.
胡桃沢源人(くるみさわ げんじん,1902-1992)
洋画家。妻は融紅鸞。石橋に住む。帝展・新文展・日展で入選・特選を重ね、日展では参与。浪速短期大学美術科教授・大阪芸術大学美術科教授もつとめ、後進の育成にあたる。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.164.
岡田實(おかだ みのる,1904-1997)
工学者。1938年から池田市旭丘に居を構える。溶接を研究課題とし、溶接の学問体系を確立。1966年に『熔接工学』として結実した。1966年、第8代大阪大学総長。1967年、名誉市民賞。1980年、勲一等瑞宝章。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.162.
平松宏春(ひらまつ こうしゅん,1896-1971)
金工家。1944年、石橋に居を移す。1946年、第1回日展で「鉄鵜置物」が特選。1965年には大阪芸術大学教授。1965年、池田市教育文化功労賞、1967年、名誉市民賞。1970年から日展参与。1971年没後、従五位勲四等瑞宝章。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.160.