原田長治(はらだ ちょうじ,1883-1946)
実業家・政治家。1914年、『太陽新聞』を創刊。吉田鋭雄・稲束猛共著『池田人物誌』は、長治が代表の太陽日報社から出版(1923・1924年)。池田史談会「池田叢書」5編の印刷も太陽日報社が行った。後に大阪府会議員(3期15年余)。原田憲は子息。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.100.
原田長治(はらだ ちょうじ,1883-1946)
実業家・政治家。1914年、『太陽新聞』を創刊。吉田鋭雄・稲束猛共著『池田人物誌』は、長治が代表の太陽日報社から出版(1923・1924年)。池田史談会「池田叢書」5編の印刷も太陽日報社が行った。後に大阪府会議員(3期15年余)。原田憲は子息。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.100.
稲束猛(いなつか たけし,1889-1927)
漢学者・美術史家。稲束芝馬太郎の長男。呉春を研究し、1918-1920年に美術雑誌『国華』『中央美術』に盛んに論文投稿。1923年から重建懐徳堂の講師。吉田鋭雄との共著『池田人物誌』では、牡丹花肖柏の池田来住にはじまる池田文化を体系化した。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.98.
吉田鋭雄(よしだ はやお[orとしお],1879-1948)
漢学者・漢詩人。重建懐徳堂の助教授・教授(堂主)。池田史談会の中心的なメンバー。江戸時代の池田の文人に関する研究は、ほとんど鋭雄と稲束猛の成果を基礎としている。稲束猛との共著『池田人物誌』・「池田叢書」5編。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.96.