安藤百福(あんどう ももふく,1910-2007)

安藤百福(あんどう ももふく,1910-2007)

実業家。日清食品創業者。1958年、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発明。1971年、世界初のカップ麺「カップヌードル」を発明。財団法人安藤スポーツ・食文化振興財団を創設。名誉市民。正四位勲二等旭日重光章。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.168.

清瀧幸次郎(きよたき こうじろう,1903-1984)

清瀧幸次郎(きよたき こうじろう,1903-1984)

実業家。父・清瀧徳兵衛は1912年に池田実業銀行を設立。1930年に幸次郎が頭取に就任(1945年、住友銀行と合併)。1951年、小林一三(設立発起人。発足後,相談役)の後押しを受け、戦後5番目の地方銀行池田銀行を設立。1965年、名誉市民賞。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.166.

融紅鸞(とおる こうらん,1905-1982)

融紅鸞(とおる こうらん,1905-1982)

日本画家。夫は胡桃沢源人。石橋に住む。帝展・新文展・日展で入選を重ね、1941年には「赤光社」を主宰、後進の育成に力を注ぐ。ラジオ「悩みの相談室」での決め台詞「あんさん、別れなはれ」が有名。著書『体当たり人生』『極楽女房』等。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.164.

胡桃沢源人(くるみさわ げんじん,1902-1992)

胡桃沢源人(くるみさわ げんじん,1902-1992)

洋画家。妻は融紅鸞。石橋に住む。帝展・新文展・日展で入選・特選を重ね、日展では参与。浪速短期大学美術科教授・大阪芸術大学美術科教授もつとめ、後進の育成にあたる。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.164.

岡田實(おかだ みのる,1904-1997)

岡田實(おかだ みのる,1904-1997)

工学者。1938年から池田市旭丘に居を構える。溶接を研究課題とし、溶接の学問体系を確立。1966年に『熔接工学』として結実した。1966年、第8代大阪大学総長。1967年、名誉市民賞。1980年、勲一等瑞宝章。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.162.

平松宏春(ひらまつ こうしゅん,1896-1971)

平松宏春(ひらまつ こうしゅん,1896-1971)

金工家。1944年、石橋に居を移す。1946年、第1回日展で「鉄鵜置物」が特選。1965年には大阪芸術大学教授。1965年、池田市教育文化功労賞、1967年、名誉市民賞。1970年から日展参与。1971年没後、従五位勲四等瑞宝章。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.160.

小石雄治(こいし ゆうじ,1894-1984)

小石雄治(こいし ゆうじ,1894-1984)

実業家。竹﨑瑞夫の後を受け、1955年からダイハツ工業(株)社長。ミゼットの生産・販売をリード。1965年、本社を池田市に移転するなど、池田市の産業発展に寄与したことから、名誉市民賞。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.158.

竹﨑瑞夫(たけざき みずお,1881-1961)

竹﨑瑞夫(たけざき みずお,1881-1961)

実業家。1932年、発動機製造(株)の取締役、1947年から社長。1951年、ダイハツ工業(株)に社名変更。1956年、1938年より池田工場を建設し、池田市の発展、産業振興に寄与したことをもって名誉市民賞。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.158.

藤田露紅(ふじた ろこう,1903-1986)

藤田露紅(ふじた ろこう,1903-1986)

俳人。1903年、内田町(現,大和町)の家に生まれる。1927年、栄町で理容店を開業。1921年、俳誌『大地』、1927年からこれにかわって『大樹』、1938年からは『新月』を創刊。1949年、俳誌『筧』を創刊・主宰。句集『白露』(1963年)。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.156.