takagi1 のすべての投稿

【勝手に祝辞】大阪大学入学生に向けて【ご入学おめでとうございます】

この度は、大阪大学へのご入学、誠におめでとうございます。

豊中キャンパスの西に広がる池田市に関するローカルメディア集積点 兼 情報サイト「池田パラボラ」を運営しています 高木 と申します。頼まれもしないのに勝手に祝辞を述べさせていただきます。

阪大のキャンパスは、大阪中心部から一定の距離がありますが、京都と神戸、さらに先は下関までつながる昔の西国街道(現、国道171号)の少し大阪寄りに並んでいます。

阪大は、学術の場ですが、学術には「道」の性質があります。

今上天皇、つまり令和の天皇陛下ですが、1998年の歌会始において、次のお歌を詠まれています。

  一本の杭に記されし道の名に我学問の道ははじまる

1993年に刊行された陛下の著書(『テムズとともに -英国の二年間-』)には

  道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割

とあります。

あなたにとって、そして人類にとって未知の世界と自分とを結びつけることを、大学生活では考えていただきたく思います。
「道」には、整備された道、獣道、道なき道、そして あなたが切り開く道があります。

さて、阪大のキャンパスは、大阪平野の北・北摂山地に近いところにあります。数千年前、大阪中心部の大部分は海の中でしたが、阪大のキャンパスは陸地にありました。

阪大は、学術の場ですが、学術には「地盤」の性質があります。

万有引力の法則や微積分法の発見で有名なアイザック・ニュートンは、顕微鏡の発明・生物の細胞の発見・バネに関するフックの法則で有名なロバート・フック宛の書簡にこう書きました。

  私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それはたんに私が巨人の肩に乗っていたからです

「巨人の肩に乗る」という言葉は、12世紀の哲学者ベルナルドゥス・シルベストリスの言葉なのですが、今はニュートンによる引用で知られます。

現代の人が、昔の人より優れているのは、「巨人の肩に乗」っているから、つまり、知の地盤がいいからです。

大学では、反証に晒されて続けても棄却されなかった、しっかりとした知の地盤を自分のものにしてください。

そして、人類進歩の歴史のなかに あなた自身を位置づけ、将来の人のために知の地盤にしっかりとした新たな層を積み上げていただきたく思います。

以上、阪大のキャンパスの立地から、「道」と「地盤」に関する話をさせていただきました。

この度はご入学おめでとうございます。

安藤百福(あんどう ももふく,1910-2007)

安藤百福(あんどう ももふく,1910-2007)

実業家。日清食品創業者。1958年、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発明。1971年、世界初のカップ麺「カップヌードル」を発明。財団法人安藤スポーツ・食文化振興財団を創設。名誉市民。正四位勲二等旭日重光章。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.168.

清瀧幸次郎(きよたき こうじろう,1903-1984)

清瀧幸次郎(きよたき こうじろう,1903-1984)

実業家。父・清瀧徳兵衛は1912年に池田実業銀行を設立。1930年に幸次郎が頭取に就任(1945年、住友銀行と合併)。1951年、小林一三(設立発起人。発足後,相談役)の後押しを受け、戦後5番目の地方銀行池田銀行を設立。1965年、名誉市民賞。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.166.

融紅鸞(とおる こうらん,1905-1982)

融紅鸞(とおる こうらん,1905-1982)

日本画家。夫は胡桃沢源人。石橋に住む。帝展・新文展・日展で入選を重ね、1941年には「赤光社」を主宰、後進の育成に力を注ぐ。ラジオ「悩みの相談室」での決め台詞「あんさん、別れなはれ」が有名。著書『体当たり人生』『極楽女房』等。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.164.

胡桃沢源人(くるみさわ げんじん,1902-1992)

胡桃沢源人(くるみさわ げんじん,1902-1992)

洋画家。妻は融紅鸞。石橋に住む。帝展・新文展・日展で入選・特選を重ね、日展では参与。浪速短期大学美術科教授・大阪芸術大学美術科教授もつとめ、後進の育成にあたる。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.164.

岡田實(おかだ みのる,1904-1997)

岡田實(おかだ みのる,1904-1997)

工学者。1938年から池田市旭丘に居を構える。溶接を研究課題とし、溶接の学問体系を確立。1966年に『熔接工学』として結実した。1966年、第8代大阪大学総長。1967年、名誉市民賞。1980年、勲一等瑞宝章。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.162.

平松宏春(ひらまつ こうしゅん,1896-1971)

平松宏春(ひらまつ こうしゅん,1896-1971)

金工家。1944年、石橋に居を移す。1946年、第1回日展で「鉄鵜置物」が特選。1965年には大阪芸術大学教授。1965年、池田市教育文化功労賞、1967年、名誉市民賞。1970年から日展参与。1971年没後、従五位勲四等瑞宝章。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.160.

小石雄治(こいし ゆうじ,1894-1984)

小石雄治(こいし ゆうじ,1894-1984)

実業家。竹﨑瑞夫の後を受け、1955年からダイハツ工業(株)社長。ミゼットの生産・販売をリード。1965年、本社を池田市に移転するなど、池田市の産業発展に寄与したことから、名誉市民賞。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.158.

竹﨑瑞夫(たけざき みずお,1881-1961)

竹﨑瑞夫(たけざき みずお,1881-1961)

実業家。1932年、発動機製造(株)の取締役、1947年から社長。1951年、ダイハツ工業(株)に社名変更。1956年、1938年より池田工場を建設し、池田市の発展、産業振興に寄与したことをもって名誉市民賞。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.158.

藤田露紅(ふじた ろこう,1903-1986)

藤田露紅(ふじた ろこう,1903-1986)

俳人。1903年、内田町(現,大和町)の家に生まれる。1927年、栄町で理容店を開業。1921年、俳誌『大地』、1927年からこれにかわって『大樹』、1938年からは『新月』を創刊。1949年、俳誌『筧』を創刊・主宰。句集『白露』(1963年)。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.156.