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日野草城(ひの そうじょう,1901-1956)

日野草城(ひの そうじょう,1901-1956)

俳人。1921年、19歳で『ホトトギス』雑詠の巻頭を占める。終戦後、大阪住友火災海上保険(株)の要職に在り、激務で体調を崩し、退職。1949年、中之島(現,石橋1丁目)に新居を購入し、終のすみかにする。俳誌『青玄』を刊行。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.154.

橋本八重三(はしもと やえぞう,1892-1947)

橋本八重三(はしもと やえぞう,1892-1947)

造園家。細河村長を務めていた叔父・下村峻五郎に育てられる。1922年、日本建築協会による住宅改造博覧会(箕面桜ヶ丘)にて庭園担当の委員。同年、大阪心斎橋大丸百貨店の屋上庭園を引き受け、大丸園芸部を経営。著書『植木屋の裏おもて』。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.152.

前田虹映(まえだ こうえい,1897-1945)

前田虹映(まえだ こうえい,1897-1945)

鳥瞰図作家。1936年、住まいを池田の井口堂に構え、後に北轟木(現,住吉1丁目)に転居。「大本山善通寺図絵」(1936年)、「鳥取県之観光」「熱海温泉観光図」(1939年)、「福岡市観光図」「聖地橿原神宮と奈良県観光」(1940年)などを制作。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.150.

村山長一(むらやま ちょういいち,1900-1981)

村山長一(むらやま ちょういいち,1900-1981)

医学者。小林一三が大阪回生病院の菊池篤忠に強く勧め同病院の池田分院として開業した池田回生病院の3代目院長に1939年就任。総合病院への体制整備を進める。1939-1952年の間、池田市医師会会長。関西庭球協会会長。1960年、名誉市民。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.148.

昔の阪急

古家新(ふるや しん,1897-1977)

古家新(ふるや しん,1897-1977)

洋画家。1925年、室町に移る。フランスから帰国後、中之島(現,石橋1丁目)に移り、鍋井克之と交流。1935年、「海風」で二科展特待受賞。1941年、二科会会員に推される。1945年、向井潤吉らとともに行動美術協会を設立し、その代表に就く。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.146.

大村呉楼(おおむら ごろう,1895-1966)

大村呉楼(おおむら ごろう,1895-1966)

歌人。南新町(現,新町)の家に生まれ、1922年、アララギの会員。1929年、石橋荘園(現,荘園1丁目)に居を移す。1945年、宣真高等女学校でアララギ大阪歌会開催。1946年、自宅で関西アララギ会結成。歌集『花藪』『西東』『午前午後』『猪名野』。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.144.

神田南畝(かんだ なんぽ,1892-1983)

神田南畝(かんだ なんぽ,1892-1983)

俳人。1900年から池田市本町に住む。1925年、永尾宋斤と共に俳誌『早春』を創刊(宋斤が出宰)。同誌は1944年停刊となるが、1946年、南畝が復刊、出宰となる。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.142

矢野橋村(やの きょうそん,1890-1965)

矢野橋村(やの きょうそん,1890-1965)

南画家。大阪砲兵工廠で左手首を切断。1913年、第7回文展で初めて入選。1924年、私立大阪美術学校を設立。私財をなげうち、後進の育成につとめる。豊中市待兼山に住んだことで、門下から池田市に住むものも出る。1963年、日本南画院会長。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.140.

6代目いけだ織姫姉妹、初衣装