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大村呉楼(おおむら ごろう,1895-1966)

大村呉楼(おおむら ごろう,1895-1966)

歌人。南新町(現,新町)の家に生まれ、1922年、アララギの会員。1929年、石橋荘園(現,荘園1丁目)に居を移す。1945年、宣真高等女学校でアララギ大阪歌会開催。1946年、自宅で関西アララギ会結成。歌集『花藪』『西東』『午前午後』『猪名野』。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.144.

神田南畝(かんだ なんぽ,1892-1983)

神田南畝(かんだ なんぽ,1892-1983)

俳人。1900年から池田市本町に住む。1925年、永尾宋斤と共に俳誌『早春』を創刊(宋斤が出宰)。同誌は1944年停刊となるが、1946年、南畝が復刊、出宰となる。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.142

矢野橋村(やの きょうそん,1890-1965)

矢野橋村(やの きょうそん,1890-1965)

南画家。大阪砲兵工廠で左手首を切断。1913年、第7回文展で初めて入選。1924年、私立大阪美術学校を設立。私財をなげうち、後進の育成につとめる。豊中市待兼山に住んだことで、門下から池田市に住むものも出る。1963年、日本南画院会長。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.140.

6代目いけだ織姫姉妹、初衣装

鍋井克之(なべい かつゆき,1888-1969)

鍋井克之(なべい かつゆき,1888-1969)

洋画家。「秋の連山」で二科賞(第2回二科展、1915年)。1930年から北轟木(現,住吉1丁目)を活動の場とする。1946年に中川紀元、宮本三郎らと第二紀会(後、二紀会と改称)設立。著書『閑中忙人』『大阪繁盛記』『大阪ぎらい物語』。1960年、名誉市民。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.138.

樫野南陽(かしの なんよう,1887-1956)

樫野南陽(かしの なんよう,1887-1956)

日本画家。「まみづ汐水」が第1回文展(1907年)3等賞。疎開を除き1928年から生涯、小阪前町(おさかまえ、現、綾羽2丁目)に住む。前田金吾や池田正雄らの「南陽後援画会」、小林一三や清瀧幸次郎らの「南一会」が定期的に作品を購入し経済的に助けた。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.136

武田義三(たけだ ぎぞう,1896-1975)

武田義三(たけだ ぎぞう,1896-1975)

政治家。武田帯芯商店に勤め、1920年、武田家に迎えられる。1928年から社長。大胆な宣伝で社業を拡大し、池田経済界の中心人物になる。1947年、公選第1期市長。五月山公園(緑地)整備(1949年~)、五月ヶ丘住宅開発(1957年~)。7期28年に渡って市長を務める。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.134

6代目 いけだ織姫姉妹 活動開始

2022年10月22日の「池田市商業祭」(於:池田駅前公園)の中の「第6回いけだ織姫コンテスト」にて、6代目 いけだ織姫姉妹が選出されました。

左:クレハトリ まなみ さん。右:アヤハトリ みさき さん です。


10月29日、「くれはフェスティバル」(於:呉服小学校)にて活動開始されました。