平松宏春(ひらまつ こうしゅん,1896-1971)
金工家。1944年、石橋に居を移す。1946年、第1回日展で「鉄鵜置物」が特選。1965年には大阪芸術大学教授。1965年、池田市教育文化功労賞、1967年、名誉市民賞。1970年から日展参与。1971年没後、従五位勲四等瑞宝章。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.160.
平松宏春(ひらまつ こうしゅん,1896-1971)
金工家。1944年、石橋に居を移す。1946年、第1回日展で「鉄鵜置物」が特選。1965年には大阪芸術大学教授。1965年、池田市教育文化功労賞、1967年、名誉市民賞。1970年から日展参与。1971年没後、従五位勲四等瑞宝章。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.160.
小石雄治(こいし ゆうじ,1894-1984)
実業家。竹﨑瑞夫の後を受け、1955年からダイハツ工業(株)社長。ミゼットの生産・販売をリード。1965年、本社を池田市に移転するなど、池田市の産業発展に寄与したことから、名誉市民賞。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.158.
竹﨑瑞夫(たけざき みずお,1881-1961)
実業家。1932年、発動機製造(株)の取締役、1947年から社長。1951年、ダイハツ工業(株)に社名変更。1956年、1938年より池田工場を建設し、池田市の発展、産業振興に寄与したことをもって名誉市民賞。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.158.
藤田露紅(ふじた ろこう,1903-1986)
俳人。1903年、内田町(現,大和町)の家に生まれる。1927年、栄町で理容店を開業。1921年、俳誌『大地』、1927年からこれにかわって『大樹』、1938年からは『新月』を創刊。1949年、俳誌『筧』を創刊・主宰。句集『白露』(1963年)。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.156.
日野草城(ひの そうじょう,1901-1956)
俳人。1921年、19歳で『ホトトギス』雑詠の巻頭を占める。終戦後、大阪住友火災海上保険(株)の要職に在り、激務で体調を崩し、退職。1949年、中之島(現,石橋1丁目)に新居を購入し、終のすみかにする。俳誌『青玄』を刊行。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.154.
橋本八重三(はしもと やえぞう,1892-1947)
造園家。細河村長を務めていた叔父・下村峻五郎に育てられる。1922年、日本建築協会による住宅改造博覧会(箕面桜ヶ丘)にて庭園担当の委員。同年、大阪心斎橋大丸百貨店の屋上庭園を引き受け、大丸園芸部を経営。著書『植木屋の裏おもて』。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.152.
前田虹映(まえだ こうえい,1897-1945)
鳥瞰図作家。1936年、住まいを池田の井口堂に構え、後に北轟木(現,住吉1丁目)に転居。「大本山善通寺図絵」(1936年)、「鳥取県之観光」「熱海温泉観光図」(1939年)、「福岡市観光図」「聖地橿原神宮と奈良県観光」(1940年)などを制作。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.150.
村山長一(むらやま ちょういいち,1900-1981)
医学者。小林一三が大阪回生病院の菊池篤忠に強く勧め同病院の池田分院として開業した池田回生病院の3代目院長に1939年就任。総合病院への体制整備を進める。1939-1952年の間、池田市医師会会長。関西庭球協会会長。1960年、名誉市民。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.148.
阪急801です。高架前の池田駅です。ヘッドライトが大型のものに交換されていて模型化には苦労しそうです。 pic.twitter.com/b4f8KFQXkp
— 四国の鉄道・バス (@takamatsubus) December 26, 2022
阪急933 石橋駅 台車が綺麗なので検査上がりでしょうね。回送のヘッドマークが子供のころ好きでした。なんかじっと見てしまうような回の字。 pic.twitter.com/HMFcrJPjxz
— 四国の鉄道・バス (@takamatsubus) December 26, 2022
古家新(ふるや しん,1897-1977)
洋画家。1925年、室町に移る。フランスから帰国後、中之島(現,石橋1丁目)に移り、鍋井克之と交流。1935年、「海風」で二科展特待受賞。1941年、二科会会員に推される。1945年、向井潤吉らとともに行動美術協会を設立し、その代表に就く。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.146.