岩野泡鳴(いわの ほうめい,1873-1920)

岩野泡鳴(いわの ほうめい,1873-1920)

小説家・詩人。小説『発展』『毒薬を飲む女』『放浪』等。1年5ヶ月の間 室町に住み 大阪に通勤。室町では養蜂をし 室町クラブで玉突きに興じる。池田時代に『池田日記』『続池田日記』・『ぼんち』(箕面有馬電気軌道沿線が描かれる)を記した。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.116.

橋詰良一(はしづめ りょういち,1871-1934)

橋詰良一(はしづめ りょういち,1871-1934)

社会事業家。大阪毎日新聞社 事業部長。「大大阪記念博覧会」(1925年)理事、特設館・娯楽館委員長。「家なき幼稚園」を設立。1922年開園の池田家なき幼稚園は、現在の室町幼稚園(1940年改称)。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.114.

小林一三(こばやし いちぞう,1873-1957)

小林一三(こばやし いちぞう,1873-1957)

実業家。箕面有馬電気軌道(現,阪急電鉄)の専務(1907年)、1927年に社長。東京電燈社長(1933年)、目蒲電鉄・東横電鉄・昭和肥料・三越・日本軽金属の重役。商工相(1940年)。国務相兼戦災復興院総裁(1945年)。1956年に池田市初の名誉市民。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.106.

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池田の偉人 小林 一三 さん

蘇州市に寄ったり、通り過ぎてきました


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前田金吾(まえだ きんご,1896-1945)

前田金吾(まえだ きんご,1896-1945)

政治家。1935年、池田町と秦野・細河・北豊島3村合併後の池田町長に就任。町税制改革、池田都市計画の策定、上下水道整備。1936年焼失の池田小学校の新築、北豊島・秦野小学校の増改築、現,呉服小学校新設。現,ダイハツ工業池田工場建設を実現。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.102.

原田長治(はらだ ちょうじ,1883-1946)

原田長治(はらだ ちょうじ,1883-1946)

実業家・政治家。1914年、『太陽新聞』を創刊。吉田鋭雄・稲束猛共著『池田人物誌』は、長治が代表の太陽日報社から出版(1923・1924年)。池田史談会「池田叢書」5編の印刷も太陽日報社が行った。後に大阪府会議員(3期15年余)。原田憲は子息。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.100.

稲束猛(いなつか たけし,1889-1927)

稲束猛(いなつか たけし,1889-1927)

漢学者・美術史家。稲束芝馬太郎の長男。呉春を研究し、1918-1920年に美術雑誌『国華』『中央美術』に盛んに論文投稿。1923年から重建懐徳堂の講師。吉田鋭雄との共著『池田人物誌』では、牡丹花肖柏の池田来住にはじまる池田文化を体系化した。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.98.

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