村山長一(むらやま ちょういいち,1900-1981)

村山長一(むらやま ちょういいち,1900-1981)

医学者。小林一三が大阪回生病院の菊池篤忠に強く勧め同病院の池田分院として開業した池田回生病院の3代目院長に1939年就任。総合病院への体制整備を進める。1939-1952年の間、池田市医師会会長。関西庭球協会会長。1960年、名誉市民。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.148.

昔の阪急

古家新(ふるや しん,1897-1977)

古家新(ふるや しん,1897-1977)

洋画家。1925年、室町に移る。フランスから帰国後、中之島(現,石橋1丁目)に移り、鍋井克之と交流。1935年、「海風」で二科展特待受賞。1941年、二科会会員に推される。1945年、向井潤吉らとともに行動美術協会を設立し、その代表に就く。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.146.

大村呉楼(おおむら ごろう,1895-1966)

大村呉楼(おおむら ごろう,1895-1966)

歌人。南新町(現,新町)の家に生まれ、1922年、アララギの会員。1929年、石橋荘園(現,荘園1丁目)に居を移す。1945年、宣真高等女学校でアララギ大阪歌会開催。1946年、自宅で関西アララギ会結成。歌集『花藪』『西東』『午前午後』『猪名野』。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.144.

神田南畝(かんだ なんぽ,1892-1983)

神田南畝(かんだ なんぽ,1892-1983)

俳人。1900年から池田市本町に住む。1925年、永尾宋斤と共に俳誌『早春』を創刊(宋斤が出宰)。同誌は1944年停刊となるが、1946年、南畝が復刊、出宰となる。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.142

矢野橋村(やの きょうそん,1890-1965)

矢野橋村(やの きょうそん,1890-1965)

南画家。大阪砲兵工廠で左手首を切断。1913年、第7回文展で初めて入選。1924年、私立大阪美術学校を設立。私財をなげうち、後進の育成につとめる。豊中市待兼山に住んだことで、門下から池田市に住むものも出る。1963年、日本南画院会長。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.140.

6代目いけだ織姫姉妹、初衣装

鍋井克之(なべい かつゆき,1888-1969)

鍋井克之(なべい かつゆき,1888-1969)

洋画家。「秋の連山」で二科賞(第2回二科展、1915年)。1930年から北轟木(現,住吉1丁目)を活動の場とする。1946年に中川紀元、宮本三郎らと第二紀会(後、二紀会と改称)設立。著書『閑中忙人』『大阪繁盛記』『大阪ぎらい物語』。1960年、名誉市民。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.138.

樫野南陽(かしの なんよう,1887-1956)

樫野南陽(かしの なんよう,1887-1956)

日本画家。「まみづ汐水」が第1回文展(1907年)3等賞。疎開を除き1928年から生涯、小阪前町(おさかまえ、現、綾羽2丁目)に住む。前田金吾や池田正雄らの「南陽後援画会」、小林一三や清瀧幸次郎らの「南一会」が定期的に作品を購入し経済的に助けた。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.136

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