融紅鸞(とおる こうらん,1905-1982)
日本画家。夫は胡桃沢源人。石橋に住む。帝展・新文展・日展で入選を重ね、1941年には「赤光社」を主宰、後進の育成に力を注ぐ。ラジオ「悩みの相談室」での決め台詞「あんさん、別れなはれ」が有名。著書『体当たり人生』『極楽女房』等。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.164.
融紅鸞(とおる こうらん,1905-1982)
日本画家。夫は胡桃沢源人。石橋に住む。帝展・新文展・日展で入選を重ね、1941年には「赤光社」を主宰、後進の育成に力を注ぐ。ラジオ「悩みの相談室」での決め台詞「あんさん、別れなはれ」が有名。著書『体当たり人生』『極楽女房』等。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.164.
胡桃沢源人(くるみさわ げんじん,1902-1992)
洋画家。妻は融紅鸞。石橋に住む。帝展・新文展・日展で入選・特選を重ね、日展では参与。浪速短期大学美術科教授・大阪芸術大学美術科教授もつとめ、後進の育成にあたる。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.164.
岡田實(おかだ みのる,1904-1997)
工学者。1938年から池田市旭丘に居を構える。溶接を研究課題とし、溶接の学問体系を確立。1966年に『熔接工学』として結実した。1966年、第8代大阪大学総長。1967年、名誉市民賞。1980年、勲一等瑞宝章。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.162.
平松宏春(ひらまつ こうしゅん,1896-1971)
金工家。1944年、石橋に居を移す。1946年、第1回日展で「鉄鵜置物」が特選。1965年には大阪芸術大学教授。1965年、池田市教育文化功労賞、1967年、名誉市民賞。1970年から日展参与。1971年没後、従五位勲四等瑞宝章。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.160.
小石雄治(こいし ゆうじ,1894-1984)
実業家。竹﨑瑞夫の後を受け、1955年からダイハツ工業(株)社長。ミゼットの生産・販売をリード。1965年、本社を池田市に移転するなど、池田市の産業発展に寄与したことから、名誉市民賞。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.158.
竹﨑瑞夫(たけざき みずお,1881-1961)
実業家。1932年、発動機製造(株)の取締役、1947年から社長。1951年、ダイハツ工業(株)に社名変更。1956年、1938年より池田工場を建設し、池田市の発展、産業振興に寄与したことをもって名誉市民賞。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.158.
藤田露紅(ふじた ろこう,1903-1986)
俳人。1903年、内田町(現,大和町)の家に生まれる。1927年、栄町で理容店を開業。1921年、俳誌『大地』、1927年からこれにかわって『大樹』、1938年からは『新月』を創刊。1949年、俳誌『筧』を創刊・主宰。句集『白露』(1963年)。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.156.
日野草城(ひの そうじょう,1901-1956)
俳人。1921年、19歳で『ホトトギス』雑詠の巻頭を占める。終戦後、大阪住友火災海上保険(株)の要職に在り、激務で体調を崩し、退職。1949年、中之島(現,石橋1丁目)に新居を購入し、終のすみかにする。俳誌『青玄』を刊行。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.154.
橋本八重三(はしもと やえぞう,1892-1947)
造園家。細河村長を務めていた叔父・下村峻五郎に育てられる。1922年、日本建築協会による住宅改造博覧会(箕面桜ヶ丘)にて庭園担当の委員。同年、大阪心斎橋大丸百貨店の屋上庭園を引き受け、大丸園芸部を経営。著書『植木屋の裏おもて』。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.152.
前田虹映(まえだ こうえい,1897-1945)
鳥瞰図作家。1936年、住まいを池田の井口堂に構え、後に北轟木(現,住吉1丁目)に転居。「大本山善通寺図絵」(1936年)、「鳥取県之観光」「熱海温泉観光図」(1939年)、「福岡市観光図」「聖地橿原神宮と奈良県観光」(1940年)などを制作。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.150.