カテゴリー別アーカイブ: 池田の偉人

稲束芝馬太郎(いなつか しばたろう,1855-1932)

稲束芝馬太郎(いなつか しばたろう,1855-1932)

蔵幅家・鑑識家。「呉郷春秋会」(設立時は,呉郷審美会。1905年-1944年)の設立の中心人物。1914年には、芝馬太郎を中心にして、池田町長・伊居太神社宮司・池田師範学校の教員らによって「池田史談会」が発足した(~1943年)。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.88.

山口樟蔭(やまぐち しょういん,1827-1905)

山口樟蔭(やまぐち しょういん,1827-1905)

漢学者。漢学所(のちの大学校,京都)の教官、私塾長、十津川藩校、吉野師範学校の教員を経た後、1890年、池田村柳屋町(現,綾羽1丁目)に漢学の塾を開く。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.86.

田村駒治郎(たむら こまじろう,1866-1931)

田村駒治郎(たむら こまじろう,1866-1931)

実業家。貴族院議員。染色法を発展させた。図案意匠に長け、アメリカ生まれの福の神「ビリケンさん」を自社の優秀商品の代表商標に登録。死後、遺言によって多額の寄付を池田町に寄せ、池田公会堂が建設された。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.84.

森秀次(もり しゅうじ,1855-1926)

森秀次(もり しゅうじ,1855-1926)

政治家。1876年、豊島郡古江村(現,古江町)の大地主森家に入る。村会議員、大阪府会議員。1899年、大阪府会副議長。1903年、衆議院議員に初当選。地租修正運動、箕面の公園化、師範学校の設置場所問題に尽力する。箕面公園内に銅像がある。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.82.

北村儀三郎(きたむら ぎさぶろう,1883-1933)

北村儀三郎(きたむら ぎさぶろう,1883-1933)

実業家。実家の酒造業を継ぎ、池田の酒造史『池田酒史』を出版。池田自動車運送株式会社・池田土地株式会社・摂池銀行等で要職を重ねた。1919年には豊中市待兼山で実施された陸軍特別大演習において、大正天皇に御前講演を行う。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.80.

岸上善五郎(きしがみ ぜんごろう,1850-1916)

岸上善五郎(きしがみ ぜんごろう,1850-1916)

実業家。東市場村(現,天神1丁目)の豪農岸上家に生まれ、その後、父は本町(現,栄本町)で酒造業を営む。善五郎は、地域資本によるはじめての銀行、摂池銀行(せっちぎんこう。1895年,設立-1927年,山口銀行に吸収合併)を設立した。

参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.80.

池田の偉人 安藤 百福 さん

安藤 百福さん (1910/ 3/ 5~2007/ 1/ 5)は、日清食品の創業者。インスタントラーメン「チキンラーメン」、カップ麺「カップヌードル」の開発者として知られています。生前は、池田市に居住。池田市名誉市民。

思想は、池田の中心的な観光施設であり、国内外の訪問者が日々絶えないカップヌードルミュージアム 大阪池田の中心になっています。(インスタントラーメン発明記念館の設立主旨)

安藤百福さん 公益財団法人 藤井財団

世のため人のためアニメシリーズ 「安藤百福物語」 インスタントラーメンの発明者

池田の偉人 小林 一三 さん

阪急電鉄創始者。生前は、池田市に居住(現、小林一三記念館)。池田市名誉市民。

「お客様への新たな生活と楽しみの提案を第一とする一三の精神」(小林一三について | 阪急文化財団) は、池田をはじめ 沿線の文化を発展させました。

小林一三さん 公益財団法人 藤井財団

世のため人のためアニメシリーズ 小林一三物語 みんなの笑顔のために働いたアイデアマン

小林一三について | 阪急文化財団
一三ネットワークの100人 – 阪急文化財団