当社は,穴織媛,呉織媛らを中国から連れて帰った阿知使主(あちのおみ)と都加使主(つかのおみ)の父子二柱を祭るとされる。
社殿の場所には円墳があったという。かつては石室があったが,盗掘されたため,池田市綾羽の伊居太神社境内に,あらたに猪名津彦神社の社殿を建て,そこに石室の破片や人骨を遷して祭ったという。
したがって当社は伊居太神社境内に遷されたのであるが,その後あらためて旧社地に社殿が再建されたことになる。
猪名津彦神社(地元では、宇保神社と呼ばれる)の裏手は、満寿美町(尾田米穀店の角)から急な坂を登ったところにあります。
この坂は、『呉江舎』さんの「五月山(五月山の地形と地質)」によると氾濫原と緩扇状地の境目です。
NHK「ブラタモリ」の「#40 伊勢神宮」編(2016/ 6/ 4放送)において、伊勢神宮 内宮が、水が付かないように高地に建てられている、と紹介されていたことを思い出しました。
伊勢神宮は五十鈴川の河岸段丘にたっている!!
段丘の上にある内宮の正殿がある場所は水がつかない。#NHK #ブラタモリ— サイレントトラベラー (@slpolient) 2016年6月4日
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