参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) 第4章 池田が迎えた多士済々の人びと.
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#大阪府池田市の偉人
小林一三(こばやし いちぞう,1873-1957) 実業家。箕面有馬電気軌道(現,阪急電鉄)の専務(1907年)、1927年に社長。東京電燈社長(1933年)、目蒲電鉄・東横電鉄・昭和肥料・三越・日本軽金属の重役。商工相(1940年)。国務相兼戦災復興院総裁(1945年)。1956年に池田市初の名誉市民。
須磨対水(すま たいすい,1868-1955) 日本画家。1914-1926年、室町に居を構える。作品は、料亭「花外楼」「吉兆」「美々卯」などの床の間を飾った。
橋詰良一(はしづめ りょういち,1871-1934) 社会事業家。大阪毎日新聞社 事業部長。「大大阪記念博覧会」(1925年)理事、特設館・娯楽館委員長。「家なき幼稚園」を設立。1922年開園の池田家なき幼稚園は、現在の室町幼稚園(1940年改称)。
岩野泡鳴(いわの ほうめい,1873-1920) 小説家・詩人。小説『発展』『毒薬を飲む女』『放浪』等。1年5ヶ月の間 室町に住み 大阪に通勤。室町では養蜂をし 室町クラブで玉突きに興じる。池田時代に『池田日記』『続池田日記』・『ぼんち』(箕面有馬電気軌道沿線が描かれる)を記した。
東くめ(ひがし くめ,1877-1969) 作詞家。童謡「鳩ぽっぽ」「お正月」「雪」等の作詞。言文一致で書かれた日本初の唱歌集『幼稚園唱歌』(1901年)収録の20曲のうち13曲は、くめの作詞。室町に居を構える。池田市より教育文化功労賞(1962年)。五月山公園に「鳩ぽっぽ」の歌碑がある。
目黒庸三郎(めぐろ ようざぶろう,1879-1947) 細菌学者・免疫学者。室町に居を構える。大阪実験治療研究所(1937年、目黒研究所に改名)を創設し、ジフテリア血清・コレラワクチン・日本脳炎ワクチンなど生物学的製剤の開発・改良に尽力した。池田市神田に目黒研究所附属免疫場。従四位勲四等旭日小綬章。
葛野壮一郎(葛は下部「ヒ」が正,かどの そういちろう,1880-1944) 建築家。池田生まれ。東京帝大建築学科卒業後、帝国劇場建設・神奈川県庁舎改築工事に携わる。帰阪後は室町に居を構える。大阪では、大江ビルヂングや中央電気倶楽部など。1934年、池田尋常高等小学校の増築を手がける。
小倉金之助(おぐら きんのすけ,1885-1962) 数学者。1917-1937年、室町に居を構える(途中の1919-1922年にフランス留学)。塩見理化学研究所長、大阪医科大学(後の大阪大学)教授。東京に移った後、東京物理学校理事長。著作は『小倉金之助著作集』第1~8巻にまとめられる。
高木和夫(たかぎ かずお,1887-1964) 音楽家。1914年、宝塚少女歌劇(現,宝塚歌劇)第1回公演にて歌劇「ドンブラコ」等3作の音楽監督・楽団指揮・ピアノ演奏。室町に居を構える。以降、在職50年、宝塚歌劇団の指導的な作曲家。「モン・パリ」(1927年)、「パリゼット」(1930年)の編曲。
小川月舟(おがわ げっしゅう,1891-1967) 写真家。1927年に代表作「瀞峡」。同年、大阪北浜に小川月舟写真場を開き、室町から通う。戦後は、全関西写真協会の会長をつとめ、1960年に日本写真協会功労賞。
木谷千種(きたに ちぐさ,1895-1947) 日本画家。室町の叔父宅に寄寓。第1回大阪美術展覧会入選「新居」と第9回文展入選「針供養」を室町で制作。大阪天下茶屋の自宅に画塾「八千草会」(後に八千草会研究所に改称)を設立。
狩野千彩(かのう ちあや,1906-1992) 日本画家。満寿美町に住む。木谷千種に師事し、1925年、「ガラシャ 忠興の妻」で第6回帝展入選。