鍋井克之(なべい かつゆき,1888-1969)
洋画家。「秋の連山」で二科賞(第2回二科展、1915年)。1930年から北轟木(現,住吉1丁目)を活動の場とする。1946年に中川紀元、宮本三郎らと第二紀会(後、二紀会と改称)設立。著書『閑中忙人』『大阪繁盛記』『大阪ぎらい物語』。1960年、名誉市民。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.138.
鍋井克之(なべい かつゆき,1888-1969)
洋画家。「秋の連山」で二科賞(第2回二科展、1915年)。1930年から北轟木(現,住吉1丁目)を活動の場とする。1946年に中川紀元、宮本三郎らと第二紀会(後、二紀会と改称)設立。著書『閑中忙人』『大阪繁盛記』『大阪ぎらい物語』。1960年、名誉市民。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.138.
樫野南陽(かしの なんよう,1887-1956)
日本画家。「まみづ汐水」が第1回文展(1907年)3等賞。疎開を除き1928年から生涯、小阪前町(おさかまえ、現、綾羽2丁目)に住む。前田金吾や池田正雄らの「南陽後援画会」、小林一三や清瀧幸次郎らの「南一会」が定期的に作品を購入し経済的に助けた。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.136
武田義三(たけだ ぎぞう,1896-1975)
政治家。武田帯芯商店に勤め、1920年、武田家に迎えられる。1928年から社長。大胆な宣伝で社業を拡大し、池田経済界の中心人物になる。1947年、公選第1期市長。五月山公園(緑地)整備(1949年~)、五月ヶ丘住宅開発(1957年~)。7期28年に渡って市長を務める。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.134
狩野千彩(かのう ちあや,1906-1992)
日本画家。満寿美町に住む。木谷千種に師事し、1925年、「ガラシャ 忠興の妻」で第6回帝展入選。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.130.
木谷千種(きたに ちぐさ,1895-1947)
日本画家。室町の叔父宅に寄寓。第1回大阪美術展覧会入選「新居」と第9回文展入選「針供養」を室町で制作。大阪天下茶屋の自宅に画塾「八千草会」(後に八千草会研究所に改称)を設立。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.130.
小川月舟(おがわ げっしゅう,1891-1967)
写真家。1927年に代表作「瀞峡」。同年、大阪北浜に小川月舟写真場を開き、室町から通う。戦後は、全関西写真協会の会長をつとめ、1960年に日本写真協会功労賞。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.128.
高木和夫(たかぎ かずお,1887-1964)
音楽家。1914年、宝塚少女歌劇(現,宝塚歌劇)第1回公演にて歌劇「ドンブラコ」等3作の音楽監督・楽団指揮・ピアノ演奏。室町に居を構える。以降、在職50年、宝塚歌劇団の指導的な作曲家。「モン・パリ」(1927年)、「パリゼット」(1930年)の編曲。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.126.
小倉金之助(おぐら きんのすけ,1885-1962)
数学者。1917-1937年、室町に居を構える(途中の1919-1922年にフランス留学)。塩見理化学研究所長、大阪医科大学(後の大阪大学)教授。東京に移った後、東京物理学校理事長。著作は『小倉金之助著作集』第1~8巻にまとめられる。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.124.
葛野壮一郎(葛は下部「ヒ」が正,かどの そういちろう,1880-1944)
建築家。池田生まれ。東京帝大建築学科卒業後、帝国劇場建設・神奈川県庁舎改築工事に携わる。帰阪後は室町に居を構える。大阪では、大江ビルヂングや中央電気倶楽部など。1934年、池田尋常高等小学校の増築を手がける。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.122.
目黒庸三郎(めぐろ ようざぶろう,1879-1947)
細菌学者・免疫学者。室町に居を構える。大阪実験治療研究所(1937年、目黒研究所に改名)を創設し、ジフテリア血清・コレラワクチン・日本脳炎ワクチンなど生物学的製剤の開発・改良に尽力した。池田市神田に目黒研究所附属免疫場。従四位勲四等旭日小綬章。
参考文献: 池田市・池田市教育委員会=編: 続池田学講座 ―人物誌編― (池田市・池田市教育委員会, 2009) p.120.
関連:
目黒庸三郎と速水太郎