私は君の言うことに反対だが、君がそれを言う権利は死んでも守る

在野研究者

在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活 (Kindle版)の著者・荒木 優太 さんへのインタビュー:

 「僕は楽しいからそうする」。大学の外で研究する「在野研究者」たち|Torus by ABEJA

読むこと、調べること、話すこと、書くこと、話し合うこと、これらは決して特別な資格が必要な行為ではありません。自由にやればいい。

なのに、人はしばしば「自分は〇〇じゃないから」(〇〇にはたいてい所属とか肩書が入ります)といった自己検閲によって自身の「やりたい」を抑圧します。とてももったいない。

以前、「これからのエリック・ホッファーのために: 在野研究者の生と心得」を出版された方です。

荒木 優太 さんのYouTubeチャンネル

イチロー曰く、何かを感じようとする人間が大事

新幹線・高速鉄道の はじまり

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世界初の高速鉄道・東海道新幹線が開業したのは、1964年10月 1日です。

5:37~ 国鉄80系電車 ―― 100km超えの長距離列車用電車

6:38~ 小田急3000形SE車 ―― 試験最高速度 145 km/h。
小田急SE車から生まれた新幹線

7:49~ 国鉄20系電車(改称後、151系電車)による電車特急「こだま」 ―― 東京大阪間を走破する電車特急。試験最高速度 163 km/h。

9:38~ 三木 忠直松平 精河邊 一の出会い

・新幹線0系電車の先頭部を設計した 三木 忠直
6年で新幹線が開通となった三木忠直の高速鉄道の研究

・空気バネの 松平 精
松平精の新幹線台車開発の回顧

 関連:
 東海道新幹線建設にあたり蛇行動防止実験に使われたのは狩勝実験線ではない

・自動列車制御装置(ATC)の 河邊 一
河辺一の新幹線自動列車制御ATCの開発

なお、戦前・戦中の「弾丸列車」計画により既に用地買収が進んでいたことが、開業を後押ししたことは明らかでしょう。

 関連:
 弾丸列車から新幹線へ

より詳しい動画:
新幹線開業前夜シリーズ – YouTube

第 1話「改軌論争」

第 2話「満鉄とあじあ号」

第 3話「弾丸列車計画」

第 4話「電車の発展(戦前編)」

第 5話「島秀雄の憂鬱」

第 6話「80系電車」

第 7話「鉄道技術研究所」

第 8話「十河信二の憤慨」

第 9話「小田急3000形電車」

第10話「講演会と建設決定」

第11話「3000形高速度試験」

第12話「国鉄151系電車」

第13話「世界銀行借款」

第14話「ルート決定と用地確保」

第15話「試験車両とモデル線」

第16話「軌道設備と信号システム」

第17話「運行計画」

第18話「金詰まり、そして・・・」

第19話「新体制と田中角栄」

最終話「新幹線開業前夜」

番外編「もし新幹線が無かったら」

写真:
Terminal

Wheals of Shinkansen

Memorial panel of completion of Tokaido Shinkansen

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インスタントラーメン発明記念館の設立主旨

大阪府池田市にある 旧称・インスタントラーメン発明記念館(現称・安藤百福発明記念館 大阪池田 愛称: カップヌードルミュージアム 大阪池田)は、チキンラーメンの開発者・安藤百福の業績を記念し、「発明・発見の大切さを伝える」(ミュージアムについて | カップヌードルミュージアム 大阪池田)施設です。

旧称の「インスタントラーメン発明記念館」時代のWebサイトに掲載されていた「設立主旨」。

これは、館の設立当時に日清食品の代表取締役会長だった 安藤 百福 さん の目が確実に通った文章だと考えます。したがって、「設立主旨」は、血肉を持って重要な意味を持った文章だと考えます。

「設立主旨」原文を後に載せますが、その意味を読み取ると次になります。

・知恵は頭の中にある。立派な設備にあるのではない。

・時間をかければいいというものではない、大切なのは密度である。

・発想の源は、身近にある。発想する力、発想を高めて創造にする力を充実させていこう。

・七転び八起き。人生に遅すぎるということはない。

・人間にとって一番大事なのは創造力であり、発明、発見こそが歴史を動かす。

発明記念館とは|インスタントラーメン発明記念館 (waybackマシン)

発明記念館の設立主旨

1 研究や発明は立派な設備がなくてもできます。

なぜなら、知恵は頭の中にあるからです。時間をかければいいというものでもありません。大切なのは密度です。安藤百福は10年かけて温めてきた発想のヒントを、 1年間という短い時間の中に凝縮し、大きな発明を成し遂げました。

2 発明記念館は「ヒント館」でもあります。

小さな発想が大きな発明に結びついた一つの例を紹介しています。ここを訪れた子どもたちに、遊びの中に発明のヒントがあること、またすべての子どもたちにはその潜在能力があることを知ってほしいのです。この記念館が子どもたちの自由な発想と創造性の芽を育てる動機(モチベーション)になることを期待します。

3 決して人生を捨ててはいけません。

日本人は昔から七転八起という不屈の精神を称えてきました。人は苦境に立たされると思いがけない力を発揮するものです。安藤百福は失意の底から立ち上がり、48歳で事業を起こしました。 人生に遅すぎるということはありません。

4 インスタントラーメンのルーツを辿ると必ずこの発明記念館に辿りつきます。

日本の食文化における歴史的な記念碑(モニュメント)といえます。「人間にとって一番大事なのは創造力であり、 発明、発見こそが歴史を動かす」という安藤百福の熱い思いを、この記念館を通じて永遠に伝えていきたいと思います。

文章と儀礼が必要

人工物には、文章と儀礼が必要です。

この文章↓を読んで、思い出しました。

製菓業界を変えるオウンドメディアへ。THE BAKE MAGAZINEはテーマ新たに生まれ変わります | THE BAKE MAGAZINE

近藤:BAKEは、上場を目指して経営体制を変えました。だから、BAKEは成長を目指している。成長するために、いろんな人が、いろんなミッションで関わっているんですよね。多様なメンバーが同じベクトルを向ける状態をつくる。それがオウンドメディアならできるんじゃないかと思ったんです。

そう思えたきっかけは、新しく入社するメンバーが過去の記事を読んでくれていたことでした。彼らから、すでに中にいる人にとっては当たり前と化してしまっていたBAKEの「誇り」に気付かされることもあって。「誇り」を伝える記事を出さなきゃなって。

「誇り」ですか。

近藤:僕らは「お菓子を、進化させる」をミッションに仕事をしていて、入社するときは業界に対してインパクトをもたらそうと思っていた。それが、時間の経過とともにその価値を見失いかけていた。

弱者を勝手に代弁するという政治的手法

悪用厳禁、敵を知るために:

「弱者を勝手に代弁する人々」には適切な呼称がある – 法華狼の日記

正確には、勝手に代弁された弱者の呼称。インド出身のガヤトリ・C・スピヴァクが「自らを語ることができない者」を指す言葉として引いた「サバルタン」のことだ。

弱者は代弁されることで「サバルタン」という立場となり、その代弁されること自体によって発言力が封じられる。それと同時に代弁者は限りなく透明な存在となり、代弁を通して主張した内容の責任を回避する。

弱者を勝手に代弁することは、確率の概念の抜けによって生じる過度な恐れ (補足の引用を参照)によるものだけではありません。

  弱者は代弁されることで発言力が封じられる。代弁者は限りなく透明な存在となり、代弁を通して主張した内容の責任を回避する

という効果をもった政治的手法でもあることを知っておくべきです。

補足:
図書館戦争ドラマに、人の脳の性質を整理する

毬江の同級生達の思考には、確率の概念が抜けています。〈毬江が「レインツリーの国」を読んで傷つく〉に違いないと考え、〈毬江が「レインツリーの国」を読んで楽しむ〉確率が考慮されていません。毬江への感情移入によって〈当事者もどき〉になり、〈第三者〉として広い視野から確率の概念を持って、メリット・デメリットを分析することを拒否しています。

結果として、毬江の同級生達は、〈毬江が「レインツリーの国」を読んで傷つく〉ことを過度に恐れるに至りました。

郊外住宅地の はじまり

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日本初の電鉄会社開発の郊外住宅地、郊外分譲住宅地は、箕面有馬電気軌道(現、阪急電鉄)が開発した 池田室町(大阪府池田市室町[むろまち]) です。

販売にあたっては、日本初の住宅ローン(NHK「その時歴史が動いた」2001/1/24で言及) が設定されました。


↑前半が、室町住宅地の紹介


13:05~ (NHK「その時歴史が動いた」2001/1/24)

池田市広報紙「広報いけだ」1996年6月号には、以下とあります:

小林(一三)氏はその沿線に郊外住宅地の開発を考え、大阪方面に通勤する人達を自社の鉄道で運ぶという計画を立てた。そのため、創立当初から路線沿いの各地に約25万坪という膨大な土地を購入。その手初めが池田の2万7000坪で、路線開通3カ月後の明治43年(1910) 6月から分譲を始めた。

室町住宅は当初、「池田新市街地新築落成」と大きく見出しをつけたチラシが発行され、大いに宣伝された。売り出しのパンフレットによると、100坪を1邸宅(1区画)として、建坪20~30坪で2階建て。これを2500~3000円で200戸販売する、と宣伝文句に乗せている。頭金50円、残金は10カ年で月々24円の月賦払いというユニークな商法で「池田新市街地」の販売は大変好評であった。

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