ターミナルデパートの はじまり

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日本初・世界初のターミナルデパートは、1929年 4月15日開業の阪急百貨店(現、阪急百貨店うめだ本店)です。

(現・近鉄大阪上本町駅に設けられた三笠屋百貨店(1926~1935年)を最初のターミナルデパートとする見方もあります。)

懐かしの阪急百貨店よもやま話 1/3 「阪急百貨店の誕生について」

懐かしの阪急百貨店よもやま話 2/3 「大食堂はこうして誕生した!」

懐かしの阪急百貨店よもやま話 3/3 「百貨店に古美術品売り場誕生!」「その他阪急百貨店の取り組み」

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コンピュータ のはじまり

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コンピュータの発達が、現在に至るまでの社会の発達の原動力です。

パソコンの歴史 1947~79年

電子計算機 ―機能と構成のあらまし―

コンピュータを創った偉人たち

日本電子計算機株式会社(現、株式会社 JECC) JECC NEWS 2010年7月号~2012年12月号に取り上げられたコンピュータを創った偉人たちの一覧です:

(1) ジョン・フォン・ノイマン(1903~1957年) ENIAC

(2) アラン・チューリング(1912~1954年) ACE

(3) ウィリアム・ショックレー(1910~1989年) トランジスタ

(4) ジョン・モークリー(1907~1980)/ ジョン・プレスパー・エッカート(1919~1995) UNIVAC I

(5) チャールズ・バベッジ(1791~1871年) 階差機関解析機関

(6) クロード・エルウッド・シャノン(1916~2001年) 情報理論

(7) コンラート・ツーゼ(1910~1995年) Zuse Z3

(8) ジョン・ヴィンセント・アタナソフ(1903~1995年) アタナソフ&ベリー・コンピュータ(ABC)

(9) ハワード・エイケン(1900~1973年) Harvard Mark I

(10) ジェイ・ライト・フォレスター(1918~2016年) Whirlwind

(11) グレース・マレー・ホッパー(1906~1992年) COBOL

(12) ブレーズ・パスカル(1623~1662年)/ ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646~1716年) 機械式計算機

(13) ヴァネヴァー・ブッシュ(1890~1974年) Memex

(14) ジョージ・ブール(1815~1864年) ブール代数

(15) エイダ・ラブレス(1815~1852年) 解析機関

関連

機械の発達リンク集「コンピュータ」

機械の発達リンク集「機械式計算機・計算尺」

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新幹線・高速鉄道の はじまり

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世界初の高速鉄道・東海道新幹線が開業したのは、1964年10月 1日です。

5:37~ 国鉄80系電車 ―― 100km超えの長距離列車用電車

6:38~ 小田急3000形SE車 ―― 試験最高速度 145 km/h。
小田急SE車から生まれた新幹線

7:49~ 国鉄20系電車(改称後、151系電車)による電車特急「こだま」 ―― 東京大阪間を走破する電車特急。試験最高速度 163 km/h。

9:38~ 三木 忠直松平 精河邊 一の出会い

・新幹線0系電車の先頭部を設計した 三木 忠直
6年で新幹線が開通となった三木忠直の高速鉄道の研究

・空気バネの 松平 精
松平精の新幹線台車開発の回顧

 関連:
 東海道新幹線建設にあたり蛇行動防止実験に使われたのは狩勝実験線ではない

・自動列車制御装置(ATC)の 河邊 一
河辺一の新幹線自動列車制御ATCの開発

なお、戦前・戦中の「弾丸列車」計画により既に用地買収が進んでいたことが、開業を後押ししたことは明らかでしょう。

 関連:
 弾丸列車から新幹線へ

より詳しい動画:
新幹線開業前夜シリーズ – YouTube

第 1話「改軌論争」

第 2話「満鉄とあじあ号」

第 3話「弾丸列車計画」

第 4話「電車の発展(戦前編)」

第 5話「島秀雄の憂鬱」

第 6話「80系電車」

第 7話「鉄道技術研究所」

第 8話「十河信二の憤慨」

第 9話「小田急3000形電車」

第10話「講演会と建設決定」

第11話「3000形高速度試験」

第12話「国鉄151系電車」

第13話「世界銀行借款」

第14話「ルート決定と用地確保」

第15話「試験車両とモデル線」

第16話「軌道設備と信号システム」

第17話「運行計画」

第18話「金詰まり、そして・・・」

第19話「新体制と田中角栄」

最終話「新幹線開業前夜」

番外編「もし新幹線が無かったら」

写真:
Terminal

Wheals of Shinkansen

Memorial panel of completion of Tokaido Shinkansen

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郊外住宅地の はじまり

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日本初の電鉄会社開発の郊外住宅地、郊外分譲住宅地は、箕面有馬電気軌道(現、阪急電鉄)が開発した 池田室町(大阪府池田市室町[むろまち]) です。

販売にあたっては、日本初の住宅ローン(NHK「その時歴史が動いた」2001/1/24で言及) が設定されました。


↑前半が、室町住宅地の紹介


13:05~ (NHK「その時歴史が動いた」2001/1/24)

池田市広報紙「広報いけだ」1996年6月号には、以下とあります:

小林(一三)氏はその沿線に郊外住宅地の開発を考え、大阪方面に通勤する人達を自社の鉄道で運ぶという計画を立てた。そのため、創立当初から路線沿いの各地に約25万坪という膨大な土地を購入。その手初めが池田の2万7000坪で、路線開通3カ月後の明治43年(1910) 6月から分譲を始めた。

室町住宅は当初、「池田新市街地新築落成」と大きく見出しをつけたチラシが発行され、大いに宣伝された。売り出しのパンフレットによると、100坪を1邸宅(1区画)として、建坪20~30坪で2階建て。これを2500~3000円で200戸販売する、と宣伝文句に乗せている。頭金50円、残金は10カ年で月々24円の月賦払いというユニークな商法で「池田新市街地」の販売は大変好評であった。

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ハンバーガーの はじまり

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"Cowboy" burger, Holy Moly Gourmet Burger Rouen

ハンバーガーは、見知らぬ土地にて、ストレス少なくありつける食事です。グローバルな活動の大きな助けになっている食事だといえるでしょう。

ハンバーガー のはじまり

10:46~

19世紀末に、アメリカ合衆国で誕生。

その背景、

・酸っぱいものを好むドイツ移民が好んだ
  - 万能調味料ケチャップの発明
  - マスタードの万能調味料化
  - ピクルスの開発

南北戦争後、進んだ工業国化。それによる職住分離。工場労働者は口腔衛生が悪く、歯がない。

・肉挽き器の発明 (1876年のフィラデルフィア万国博覧会で発表)

マクドナルド のはじまり

37:57~

マクドナルド以前のハンバーガー店は、「ファスト」ではなかった。今日のファストフード・ハンバーガー店の店内を作ったマクドナルド兄弟と、それを拡げたレイ・クロック

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カップ麺の はじまり

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2019年10月 6日、NHK大河ドラマ「いだてん」で衝撃的なシーンが放送されました。

日清食品が「カップヌードル」を発売するのは、1971年。でも、1961年にカップ麺は存在したのです。

明星食品の「明星叉焼麺 (明星チャーシュー麺)」。しかし、欠陥があり、テスト販売で終わってしまいました。

カップラーメンの発明者の日清食品の安藤百福ではない?

「明星叉焼麺(明星チャーシュー麺)」は1個50円で、鎌倉の海水浴場でテスト販売された。

しかし、容器として使用したカップは耐油性に問題があったため、ラーメンの汁が染み出たり、カップの匂いがラーメンに移るなどの問題が生じた。

アイスクリームのカップメーカー尚山堂も耐熱性のカップを作るのは初めてのことで、様々な角度から検討が加えられたが、当時の技術では限界があり、結局、昭和36年(1961年)7月に容器の問題で「明星叉焼麺(明星チャーシュー麺)」の発売は断念された。

日清食品( 安藤 百福 )が「カップヌードル」を成功させるまでには、多々の問題があり、日清食品はそれらを解決していきました。ここにまとめます:

容器 ―― 発泡スチロールのカップと熱接着のフタ

まんぷくヌードルの容器・カップの実話!大変な苦労があった! | 歴ドラ.com

実は当時の日本には発泡スチロールの一体成型ができるメーカーがなく、当初は製缶メーカーに頼んで側面と底を別々に作った上で貼り合わせるという方法をとりました。

ところがそのやり方では、カップにお湯を注ぐと底が抜けてしまいました。

そのため日清食品では自社で発泡スチロールの容器を開発することにして、技術を持っていたアメリカのダート社と業務提携して「日清ダート」という会社を設立しています(現在の日清化成)

…発泡スチロールに熱を当てれば刺激臭がなくなるということがわかって、完成した容器を熱い蒸気を吹き付ける釜に入れる手法を採用したところ、容器の刺激臭が完全になくなりました。

加えてカップの蓋に関してはアメリカからの飛行機の機内で配っていたマカダミアナッツの容器の蓋を採用しています。

…この蓋には接着剤が使用されておらず、150℃の熱で接着する「熱接着」とう技術が用いられており、その安全性から食品を入れる容器にはもってこいだったのです。

麺の中間保持 ―― 大量生産での実現

まんぷくヌードルの中間保持の驚きの実話!こうして生まれた! | 歴ドラ.com

工場の機械でカップに水平に麺を落とし込むことが非常に困難でした。

百福はある晩、横になって考えていると突然 天井がグルっと回った感覚 を覚えます。

それはまさに天と地がひっくり返ったような感じでした。

その時に彼は閃きを得ており、麺をカップに入れるのではなく、麺にカップをかぶせることを思いつきます。

これによって、工場での大量生産が可能となりました。

具材 ―― フリーズドライとエビ

まんぷくヌードルの具材の実話!エビやフリーズドライが大変だった! | 歴ドラ.com

当時の日本の冷凍乾燥法の技術は低くおぼつかなかったことから、百福は自社で独自にフリーズドライの技術を研究しています。

そしてこれが現在岡山県にあるカップ麺の乾燥具材の製造販売を手掛ける日清エフ・デイ食品につながっています。

他社でできないのなら自社でやるというのが百福の考え方でもありました。

カップヌードルの具材は、「まず最初にエビありき」という形で決められていたのです。

…エビの赤い色合いは洋風で華やかですから、当初からカップヌードルの具材として使用されることが決まりました。

しかし色どりや豪華な感じ、実際の味わいなどの条件がついたことから、原料となるエビ選びにはかなりの時間が費やされることになります。

そのため中国や台湾、タイやインド、アフリカや北洋などの世界中から60種類以上のエビを取り寄せて試しています。

…最終的に選ばれたのはインド産のプーバランという乾燥小エビでした。

このエビは当時1キロあたり4500円もする乾燥用の小エビとしては最高級品でしたが、当時はほとんど日本には輸入されていませんでした。

しかし百福は迷わずにこのエビを採用してカップヌードルの具材としています。

販売ルートと自動販売機

カップラーメンの発明者の日清食品の安藤百福ではない?

袋麺の実売価格が25円なのに対し、カップヌードルは100円と高額だったので、問屋は高いと言って相手にしてくれなかった。

通常の食品ルートでは販売できず、日清食品は、連れ込みホテル・官公庁・レジャー産業・病院などの販売ルートを開拓していった。

最初にカップヌードルが売れたのは、朝霞駐屯地の自衛隊で、その後は消防署や看護婦などでカップヌードルの利便性が認められ、夜勤で働く人に受け入れられていき、東京・銀座の歩行者天国での販売では、1日で2万食が売り切れた。

さらに、日清食品の 安藤百福(呉百福)は、世界初のカップラーメンの自動販売機を設置した。

まんぷくヌードルの自動販売機の実話とドラマとの違い! | 歴ドラ.com

当時はお湯が出る自動販売機はどこにもなく、メーカーと共同開発してこれを完成させることになります。

また「給湯販売」だったことから食品衛生法上は「飲食店の営業」にあたってしまい、本来なら都道府県の営業許可を必要としたので、東京衛生局や東京都議会などと掛け合って新しい条例を作ってもらうなどの苦労もしています。

関連:
安藤百福クロニクル | 日清食品グループ

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