まず、「高民立世」の考え とは、以下です:
知的制高面に関し、
・高民立世は、高民層の広さと、立つ民を、
・超民連絡は、厚みと、高さ方向を結ぶ階段を、明示的に与える。
「大国高民(たいこくこうみん)」とは、知的側面を強化した国民(市民)多数をもって大国(よい社会)を形成しようとする理念です。…
この理念を実体的に認識するために、2つの基本思想を挙げます:
「高民立世」(こうみんりっせ)
高民(=知的に高く または 広く、知性・知能を意識的に発揮し躍動する民)(多数)を世に立たせ、高民(多数)によって世を立たせます。「超民連絡」(ちょうみんれんらく)
社会が天才・秀才ばかりである必要はありませんが、天才・秀才が生き・活きる社会であるべきです。そのために、天才・秀才の思考(の一端)が共有されるべきです。それは、天才・秀才と一般能力者の架け橋になり(天才・秀才を得体の知れない者にしない)、且つ社会に天才・秀才を補給する後方連絡線となります。これによって、天才・秀才は孤立せず、消耗されません。
「大国高民論」に挙げた「知的制高面」をコンセプトとする場が継続的に存在・活動し、確固として認識されることが必要です。
さて、ここから本題。
「高民立世」の考え の「立つ民」は、
外から見ると、発信・活動する民を指しますが、
「立つ民」(個人) の内側から見ると、関心をもった民を指す
のだと気づきました。
「高民立世」の考えは、関心づくり に繋がります。
「関心」論のはじまり:
私論「ウォンバット市」が目指すところ
私が考えるに:
「ウォンバット市」が目指すところは、ウォンバットと〈ウォンバットが象徴する事柄〉を、それが豊かな池田市に関する実感(知名度と、池田市に行くことができるという認識)を根拠にして意味あるものと社会に認識させ、それを社会の確かな関心にすることである。
…
池田市は、ウォンバットを護るとともに、〈ウォンバットが象徴する事柄〉への関心を護るのだ。