愚弱な国民

「およそ愚弱な国民は、たとえ体格がいかに健全だろうが、なんの意味もない見せしめの材料かその観客にしかなれない」―― 魯迅『吶喊』自序

「いだてん」周回遅れその4:弁髪 comics and songs (抜粋)

 「藤野先生」には、人を教えることに対する藤野先生の誠実な態度が静かに、情を込めて綴られる一方で、いくつか見逃せないできごとも記されている。ときは日露戦争の最中(ちょうど四三が熊本で日本の活躍に飛び上がっていた頃だ)、魯迅は学校で日本に勝っている場面を次々と写す幻灯を見せられる。ところが、そこにたまに中国人が混ざっていることがあった。「ロシア人のためにスパイとなり、日本軍に捕まって、銃殺されるところで、周りを囲んで見ているのも一群の中国人、講義室にはもう一人僕がいた」(『藤野先生』 *2 )。この経験から彼は「およそ愚弱な国民は、たとえ体格がいかに健全だろうが、なんの意味もない見せしめの材料かその観客にしかなれない」と知り、自分たちの最初の課題は医学ではなく「精神を変革すること」であると考えたと、『吶喊』自序 *3 で記している。

「愚弱な国民」の対語が、インフォームド・シチズン でしょう。行動するインフォームド・シチズンです。

豊田 巧 : RAIL WARS! 10 ―日本國有鉄道公安隊― (創元社クリア文庫, 2015) p.83.

「そして、こちらから何かのアクションを起こして、犯人の計画を妨害する」

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