好奇心を生むためにいちばん大事なのは「ワンダー」

吉田 尚記, 石川 善樹 : どうすれば幸せになれるか科学的に考えてみた (KADOKAWA, 2017〈底本はKADOKAWA (2017)〉) 位置No. 774/2147.

好奇心を生むためにいちばん大事なのは、「ホワイ」(Why)ではなく、「ワンダー」(Wonder)なんです。普通のことを、いかに「不思議だ」「ワンダーだ」と思えるか。

多様である前に、無知・短慮・漫慮ではいけない

「空気」を排した首脳部の図から見いだせる国民の役割

集合知が成立するためには、国民の意見が多様でなければいけない。そして、それ以前の前提として、国民は、無知・短慮・漫慮ではいけない。

スコット・ペイジ=著, 水谷 淳=訳: 「多様な意見」はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき (日経BP社, 2009) p.211.

 これら四条件――(1)問題が難しくなければならない。(2)人々が賢くなければならない。(3)人々が多様でなければならない。(4)大きな母集団からある程度の大きさのグループを選ばなければならない――は、多様性が能力に勝るための十分条件である。この結果が成り立つために必要な条件というだけでなく、これらが満たされれば多様性は能力に勝るのである。

 多様性が能力に勝る定理: 条件1から4が満たされれば、ランダムに選ばれたソルバーの集団は個人で最高のソルバーからなる集団より良い出来を示す。

この定理は単なる比喩でもないし、…。論理的な真理なのだ。 [太字は、ブログ記事著者による]

スコット・ペイジ=著, 水谷 淳=訳: 「多様な意見」はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき (日経BP社, 2009) p.425.

 民主制が機能するには、人々が適度に正確で多様なモデルを持たなければならない。 [太字は、ブログ記事著者による]

大阪の発展は、多様性を社会の確かな関心にする

日本の多様性を感じさせる大きな源のひとつに、大阪の存在があります。

大阪の発展は、多様性のさらなる実感につながり、多様性が社会の確かな関心(:限られた日々の時間の中で、少ない時間であっても、いくらかの思考時間をあてるテーマ)になります。

活動する支持者個人個人は、多様性を具現する

『「オバマ」のつくり方』を読んで――活動する強化された個人

強化され活動する支持者は、様々な活動を通して、(潜在的な)票や献金を集めた。活動する支持者個人個人は、オバマ個人では表現できない、人種・境遇・地域の多様性をそれぞれに具現し、有権者にオバマへの投票を納得させる力が強かったことだろう。

知的ネット社会は多様性を強みにもち、リアル社会に多様な思想を提供する

知的ネット空間「アテネの学堂」 5つのリスト 2010年 8月

知的ネット社会を形成するための三思想
 
(1) ネットの使い道のひとつは、問題を解決することである。
(2) 言論・表現の自由を尊重する。
(3) 知的ネット社会は多様性を強みにもち、リアル社会に多様な思想を提供する。

強みと役割 : 知的ネット社会は多様性に強みをもち、リアル社会に多様な思想を提供する  

ネットの強みに、その分散構造と表現技法に対する制限の少なさから生ずる「多様性」があります。

しかし、強みを役割につなげなければ、その強みは評価されません。「やれること」(強み)かつ「やらなければならないこと」(役割)が「仕事」であり、「仕事」の結果によって評価されるのです。

ネットを使ってすべてのことができるわけではないので、役割を果たすためにはリアルな事物との結合点(交通の結び目)が重要です。結合点を通じて、「アテネの学堂」の成果をリアル社会の問題解決体系に提供し、リアル社会において役立たせるのです。

まとめると、

「アテネの学堂」の産物は多様な思想であり、結合点を通じてそれをリアル社会に提供する。

さらに、

この貿易を通じて、「アテネの学堂」は役割を果たすものとして評価され、存在価値を高め、主体性を高める

のだ、と私は考えます。

なお、引用下部の「結合点」について、現在の考え方を 以下に書きます:

知に関する社会の仕組みにおいて、
(D)「ONの市民」 (及び、その中の「知的ネット社会」)が、一つの固まりとしてだけ存在するのではなく、全ての隙間に入りこみ、全てをつなぐように存在する
ことによって、「結合」される、と 考えています。

世界は持ち寄るものであって分けるものではない

リケ女とダイバシティー、世界は持ち寄るものであって分けるものではない

ダイバシティーにおいて実際には、「人種・国籍・性・年齢は問われる」のだ。ただ、それが不利に扱われることはなく(多様性の受容)、また有利に解される(多様性の重要視 *)。

さて、『科学者に「女子」の冠つけないで 讃えるようになれよ この国』。

これは、条件を付けて褒めるな、ということである。

世界は持ち寄るものであって、分けるものではない。