次の文章を思い出しました:
梅棹 忠夫 : 情報の家政学 (中公文庫, 2000) pp.36-37.
>親と子の対話の必要をいう声がつよいが、むしろ、子どもこそ親にとっての情報源であり、情報そのものである。… 子どもはつねにあたらしいものを家庭のなかにもちこんでくる。— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) June 17, 2021
返信したら、およそ1日で 36リツイート、156いいね をいただけたので、引用部を少し足して示します。
梅棹 忠夫 : 情報の家政学 (中公文庫, 2000) pp.36-37.
いま、親と子の対話の必要をいう声がつよいが、むしろ、子どもこそ親にとっての情報源であり、情報そのものである。そしてまた、子どもこそが、いつの時代でも、社会変化を推進する原動力になるものである。
…
変動系の家庭では、子どものはたしている役わりはおそろしくおおきいものがある。子どもはつねにあたらしいものを家庭のなかにもちこんでくる。それだけ、むかしにくらべると、おじいさん、おばあさんの情報系での価値や役わりが激減し、子どもの価値がたかくなっているということなのである。
関連:
情報の主体としての家庭
http://nhm.blog75.fc2.com/blog-entry-654.html
大人と子どもが共に未来を守る
https://takagi1.net/mirai/archives/86