教皇レオ14世はコンクラーベを取材したメディア関係者らから長い拍手を浴び、渾身のギャグをかました。
「最初に拍手されるのはね、まあよくある“儀式”みたいなもんです。でも最後まで寝落ちせずに聞いてくれて、しかもまだ拍手したいって思えたなら――それは本当に奇跡です、ありがとう!」 pic.twitter.com/8dAjAzjShy
— Rosarinn (@rosarinn) May 12, 2025
キリスト教カトリック教会の頂点であるローマ教皇の、一見ローマ教皇らしからぬ御発言は、下記の考えを想起させました。
文化の最小公倍数的側面(=「でもあらなくてはならない」)
です。最小公倍数的側面の反対概念は『文化の最大公約数的側面(=「でなくてはならない」)』です。
※補足: 数学では、例えば、6と8の最小公倍数は24、最大公約数は2。
ローマ教皇は、カトリック教会の頂点ですが、それだけに留まらず、カトリック教会文化の代表者です(同様に、各国の国家元首も各国の文化の代表者です)。
ローマ教皇にまでなられた方です、ご自身の発言が、カトリック教会文化の頂点の者の発言として、相応しくはないことはない、とご判断された上での、ご発言であろうと愚考します。
文化とは、社会の成員が持つものです。
文化 – Wikipedia [2025年4月28日 (月) 06:30 の版]
広く民族学で使われる文化、あるいは文明の定義とは、知識、信仰、芸術、道徳、法律、慣行、その他、人が社会の成員として獲得した能力や習慣を含むところの複合された総体のことである
エドワード・バーネット・タイラー、Primitive culture [1871年]
カトリック教会文化の構成員(=[広義の]カトリック教会社会の成員)を代表する発言として、ひとつはカトリック教会文化の構成員(の多数)が共通して備えている思想を語ることがあります。これは、『文化の最大公約数的側面(=「でなくてはならない」)』です。
しかし、文化の構成員が多様になると、共通して備えている思想の支配力が、相対的に弱くなります。
そこで、文化の構成員の部分集団(A, B, C, ……)がそれぞれ備えている思想(a, b, c, ……)をそれぞれに触れていくことにより、代表者としての発言にすることができます。これは、『文化の最小公倍数的側面(=「でもあらなくてはならない」)』です。
ローマ教皇は、ジョークを仰ることによって、カトリック教会文化の構成員のなかのジョークを好む集団に寄り添われたのです。そして、次には他の部分集団に寄り添われるのでしょう。私は、そのように愚推します。