2019年10月 6日、NHK大河ドラマ「いだてん」で衝撃的なシーンが放送されました。
『いだてん』は色々小ネタを仕掛ける。
1961年の話にカップ麺の話。NHK『まんぷく』では1971年に日本初のカップ麺を販売した話を延々とやっていたけど、それをアッサリ否定する本当の初のカップ麺、1961年の明星『叉焼麺』(試作販売のみ)の話題をぶち込んできた。
パッケージに叉焼麺の面影が。 pic.twitter.com/wozcCykGyK— 杉村喜光:知泉(三省堂辞典発売中 (@tisensugimura) October 6, 2019
日清食品が「カップヌードル」を発売するのは、1971年。でも、1961年にカップ麺は存在したのです。
明星食品の「明星叉焼麺 (明星チャーシュー麺)」。しかし、欠陥があり、テスト販売で終わってしまいました。
「明星叉焼麺(明星チャーシュー麺)」は1個50円で、鎌倉の海水浴場でテスト販売された。
しかし、容器として使用したカップは耐油性に問題があったため、ラーメンの汁が染み出たり、カップの匂いがラーメンに移るなどの問題が生じた。
アイスクリームのカップメーカー尚山堂も耐熱性のカップを作るのは初めてのことで、様々な角度から検討が加えられたが、当時の技術では限界があり、結局、昭和36年(1961年)7月に容器の問題で「明星叉焼麺(明星チャーシュー麺)」の発売は断念された。
日清食品( 安藤 百福 )が「カップヌードル」を成功させるまでには、多々の問題があり、日清食品はそれらを解決していきました。ここにまとめます:
容器 ―― 発泡スチロールのカップと熱接着のフタ
まんぷくヌードルの容器・カップの実話!大変な苦労があった! | 歴ドラ.com
実は当時の日本には発泡スチロールの一体成型ができるメーカーがなく、当初は製缶メーカーに頼んで側面と底を別々に作った上で貼り合わせるという方法をとりました。
ところがそのやり方では、カップにお湯を注ぐと底が抜けてしまいました。
そのため日清食品では自社で発泡スチロールの容器を開発することにして、技術を持っていたアメリカのダート社と業務提携して「日清ダート」という会社を設立しています(現在の日清化成)
…
…発泡スチロールに熱を当てれば刺激臭がなくなるということがわかって、完成した容器を熱い蒸気を吹き付ける釜に入れる手法を採用したところ、容器の刺激臭が完全になくなりました。
加えてカップの蓋に関してはアメリカからの飛行機の機内で配っていたマカダミアナッツの容器の蓋を採用しています。
…
…この蓋には接着剤が使用されておらず、150℃の熱で接着する「熱接着」とう技術が用いられており、その安全性から食品を入れる容器にはもってこいだったのです。
麺の中間保持 ―― 大量生産での実現
まんぷくヌードルの中間保持の驚きの実話!こうして生まれた! | 歴ドラ.com
工場の機械でカップに水平に麺を落とし込むことが非常に困難でした。
…
百福はある晩、横になって考えていると突然 天井がグルっと回った感覚 を覚えます。
それはまさに天と地がひっくり返ったような感じでした。
その時に彼は閃きを得ており、麺をカップに入れるのではなく、麺にカップをかぶせることを思いつきます。
これによって、工場での大量生産が可能となりました。
具材 ―― フリーズドライとエビ
まんぷくヌードルの具材の実話!エビやフリーズドライが大変だった! | 歴ドラ.com
当時の日本の冷凍乾燥法の技術は低くおぼつかなかったことから、百福は自社で独自にフリーズドライの技術を研究しています。
そしてこれが現在岡山県にあるカップ麺の乾燥具材の製造販売を手掛ける日清エフ・デイ食品につながっています。
他社でできないのなら自社でやるというのが百福の考え方でもありました。
カップヌードルの具材は、「まず最初にエビありき」という形で決められていたのです。
…エビの赤い色合いは洋風で華やかですから、当初からカップヌードルの具材として使用されることが決まりました。
しかし色どりや豪華な感じ、実際の味わいなどの条件がついたことから、原料となるエビ選びにはかなりの時間が費やされることになります。
そのため中国や台湾、タイやインド、アフリカや北洋などの世界中から60種類以上のエビを取り寄せて試しています。
…最終的に選ばれたのはインド産のプーバランという乾燥小エビでした。
このエビは当時1キロあたり4500円もする乾燥用の小エビとしては最高級品でしたが、当時はほとんど日本には輸入されていませんでした。
しかし百福は迷わずにこのエビを採用してカップヌードルの具材としています。
販売ルートと自動販売機
袋麺の実売価格が25円なのに対し、カップヌードルは100円と高額だったので、問屋は高いと言って相手にしてくれなかった。
通常の食品ルートでは販売できず、日清食品は、連れ込みホテル・官公庁・レジャー産業・病院などの販売ルートを開拓していった。
最初にカップヌードルが売れたのは、朝霞駐屯地の自衛隊で、その後は消防署や看護婦などでカップヌードルの利便性が認められ、夜勤で働く人に受け入れられていき、東京・銀座の歩行者天国での販売では、1日で2万食が売り切れた。
さらに、日清食品の 安藤百福(呉百福)は、世界初のカップラーメンの自動販売機を設置した。
まんぷくヌードルの自動販売機の実話とドラマとの違い! | 歴ドラ.com
当時はお湯が出る自動販売機はどこにもなく、メーカーと共同開発してこれを完成させることになります。
また「給湯販売」だったことから食品衛生法上は「飲食店の営業」にあたってしまい、本来なら都道府県の営業許可を必要としたので、東京衛生局や東京都議会などと掛け合って新しい条例を作ってもらうなどの苦労もしています。