多様な未来製作所 TAKAGI-1 みくすと

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2019/12/07

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一つ目は、異なる意見に対する態度

知的な人は異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす


二つ目は、自分の知らないことに対する態度

知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。また、それについて学ぼうする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、それを隠し学ばない


三つ目は、人に物を教えるときの態度

知的な人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている


四つ目は、知識に関する態度

知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。そうでない人は、「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ知識を得ようとしない上、役に立たない知識を蔑視する


五つ目は、人を批判するときの態度

知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。そうでない人は、「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。


知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうか、という話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、という話であり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものなのだ、と思う。



- 知的であるかどうかは、五つの態度でわかる。 | Books&Apps

[ Posted Sat, 07 Dec 2019 22:14:26 ]

 


ネットの議論が分断されているように見えるのは、極端な意見ばかりが目につくネットの特性のためである。たとえば、憲法9条改正についてのネット上の書き込みのうち半分は、年に60回以上も書き込むヘビーライターがしている。ヘビーライターは全体のわずか0・23%しかいないのだが、年60回以上書き込むくらいであるから、政治的に強い意見の持ち主であり、かくしてネット上に見えるのは最強硬派の意見だけとなる。最強硬派ばかりであれば、罵倒と中傷ばかりになるのは至極当然の結果である。

 しかし、これは書き込む人が限られているからであり、ネットの利用者の意見全体が過激化し、分断されているわけではない。大半の人は自分と反対の意見に接し、むしろ穏健化している。ネットを使う若い人ほどこの傾向は顕著であり、時間がたつにつれてこの傾向は次第に広がっていくだろう。ネットによって自分と異なる意見と接し、相互に理解が深まっているとすれば、これはネット草創期の人々が期待していた姿である。ネット草創期の人々の希望はまだ死んでいない。



- 「ネットが社会を分断」は不正解、10万人の調査結果が明かす真相 | 47NEWS

[ Posted Sat, 07 Dec 2019 22:34:08 ]

 

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