R.P.ファインマン「困ります、ファインマンさん」

     

評価・状態: 得られるものが秀逸・多量な本★★★

R. P. ファインマン著 大貫昌子訳: 困ります、ファインマンさん (岩波現代文庫, 2001)

購入: 2005/ 7/15
読了: 2005/10/ 5

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この本からの引用、または非常に関連する記事

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朝永振一郎は何でノーベル賞をとったか

記事ページ 発行: 2006年12月21日

朝永振一郎 - Wikipedia

>1947年にはくりこみの手法を用いて、水素原子のエネルギー準位に見られるいわゆるラムシフトの理論的計算を行い、実測値と一致する結果を得た。この業績により、1965年にジュリアン・シュウィンガー、リチャード・ファインマンと共同でノーベル物理学賞を受賞。

Sin-Itiro Tomonaga - Nobel Lecture

関連:
Nobel e-Museum
http://mkynet.hp.infoseek.co.jp/webcic/lib/inw/inw_0212210.html#dtrif001

R.P.ファインマン「ご冗談でしょう、ファインマンさん」http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-138.html

R.P.ファインマン「困ります、ファインマンさん」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-108.html

ラルフ レイトン「ファインマンさん最後の冒険」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-144.html

 

どんな名言であろうと

記事ページ 発行: 2006年12月23日

R. P. ファインマン著 大貫昌子訳: 困ります、ファインマンさん (岩波現代文庫, 2001) p.20.

>どんな名言であろうと、それを誰様が言ったかなどということにこだわらず、始めと終わりを必ずしっかりと見定め、はたしてそれが理に叶っているか? と、自分の心にたずねることだ、というのがおやじの教えだった。



関連:
R.P.ファインマン「困ります、ファインマンさん」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-108.html

 

アーリーン・ファインマン女史

記事ページ 発行: 2006年12月23日

アーリーン・ファインマン女史は、リチャード・P・ファインマン(1965 ノーベル物理学賞)の最初の妻である。若くして結核で亡くなった。

しかし、夫リチャードと同様、権威に物怖じしなかった。

エンリコ・フェルミ(1938 ノーベル物理学賞)、ニールス・ボーア(1922 ノーベル物理学賞)、ハンス・ベーテ(1967 ノーベル物理学賞) 相手にクリスマスカードの文面でいたずらをした。

口癖は「ひとがどう思ったっていいじゃありませんか!」。

関連: 
R.P.ファインマン「困ります、ファインマンさん」 
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-108.html

 

何を言いたかったのだろうか

記事ページ 発行: 2005年10月15日

この作品は、何を言いたかったのだろうか。

脚本の両澤女史は「戦ってはいけないのか」がテーマだと言っているが、ここではそれにとらわれないで考えてみよう。

この作品の主人公は、一応、シン・アスカである。そして、作品のクライマックスは、メサイア議長室でのデュランダル議長-キラ・ヤマトの銃を向け合いながらの問答である。この両者が答えを示すのが、この作品の言いたかったことに違いない。
まず、シン・アスカであるが、作品最後になっても目立った変化はなかった。戦争で家族を失った彼は、前作の主人公キラ・ヤマトとは違う魅力的な主人公になるはずであったが、最後までデュランダル議長の手駒にすぎなかった。セリフも「あんたって人は〜」しか言わない。

それならば、彼の周囲を見てみよう。そこで思い当たるのが、ステラ・ルーシェである。彼女は PHESE-32 において死亡しているが、最終回においてシンの心の中で裸ダイブをおこなった(正確には寸前で離れていったが)。その際のステラの台詞は過去(記憶)と未来に関するものであった。

彼女は記憶がない。作品前半において、ミネルバクルーの最強の敵であった彼女を含むエクステンデッド 3人は、いずれも記憶が操作されていた。

次にメサイア議長室だが、キラのセリフに

「傲慢なのはあなただ。僕はただの、1人の人間だ。どこもみんなと変わらない、ラクスも。でも、だから貴方を撃たなければならないんだ。それを知っているから」

というものがある。

ここまで考えたうえで、次の文章を読むと、作品が言わんとしていることがこの文章に表現されていると考えられる。

R. P. ファインマン著 大貫昌子訳: 困ります、ファインマンさん (岩波現代文庫, 2001) p.339,340

>しかしながら私たちの前には何万年もの未来が広がっているのです。ですから今の私たちの責任は、できる限りの努力をし、できるだけのことを学び、答をできるだけ改善してこれを次の世代に渡していくということです。未来の人に自由選択の余地を残しておくことこそ私たちの責任なのです。人類史の初期にいる私たちは、若者独得の生意気から、永い未来にわたる人類の成長をいじけさせてしまうような重大な誤りをしでかすこともあり得ます。このように若く無知な私たちが、今もう答はすっかりわかってしまったなどと言うなら、まったく取り返しのつかない過ちを犯すことになるでしょう。

「次の世代に渡していく」が記憶に対応し、「人類史の初期にいる私たち」が最高のコーディネータであるキラでも"ただの、1人の人間"であることに対応していると考えられるのだ。

関連: 
R.P.ファインマン「困ります、ファインマンさん」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-108.html

 

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