古典的な見方と新しい視点のふたつがある。 ・古典的な見方
古典的な見方とは、鉄道が軍事物資の輸送・補給路として大変有用であり、 鉄道がプレゼンスと認識される/ていた事実である。 http://mkynet.hp.infoseek.co.jp/webcic/lib/inw2/inw_0309140.html#1 −移転→ http://takagi1.net/g-sys/inw2/1_inw_0309140.html −移転→ https://takagi1.net/webcic/lib/inw2/inw_0309140.html#1 >南下政策といったほうがいいのか) *。 >日露戦争のときは、まだ単線で、沿海州まで軍事物資を運んできた機関車を引き返え >させる余裕がなく、仕方がないので、機関車を線路脇に横倒しするほどでした。 >その後、第一次大戦で、戦車が登場しますが、昔の戦車にとって、輸送手段として >鉄道はなくてはならないものでした。 補足: 徳田八郎衛 : 間に合った兵器 (光人社NF文庫, 2002) p.46. >フランス会戦[ドイツの北フランス侵攻,1940]での英国の戦車消耗の >七五パーセントが故障によるものだったことは大きな関心を呼び、 >信頼性が戦車設計の重要課題となった。とくに英国の重装甲「軽」戦車は >舗装道路を長時間走るのが苦手だったもようで、今日の日本のように >「道路が痛むから」という理由ではなく、戦車の履帯が痛まぬよう鉄道輸送 >する必要があった。 >シベリア鉄道は、その後、ナチスドイツのソ連侵攻への最終防衛で力を発揮します。 >ソ連は、日本に対ソ戦の意思がないとの情報を受け **、日本の関東軍と対峙していた >強力な戦車群をシベリア鉄道で輸送、ソ連の退却戦法で疲弊したドイツ軍を蹴散らした >のでした。ちょうどそのころ真珠湾攻撃に踏み切っていた日本にとっては、ドイツは >東からアメリカを攻めるパートナーであったわけで、モスクワまであと少しのところ >まで迫っていたドイツ軍が敗れるというのは想定外のことであり、第二次大戦全体に >大きな意味を持つことになります。 >* http://mkynet.hp.infoseek.co.jp/webcic/lib/inw/inw_0301120.html#dtrif002 [***] −移転→ http://takagi1.net/webcic/lib/inw/inw_0301120.html#dtrif002 −移転→ https://takagi1.net/webcic/lib/inw/inw_0301120.html#dtrif002 ( *** より) >日露戦争です。ロシアが馬山浦に海軍基地を建設しようとし、旅順・大連・ >ウラジオストク・そしてシベリア鉄道がそろうという日本国滅亡の危機であ >りました。 ・新しい視点 新しい視点とは、エネルギー効率のよい鉄道輸送の比率を高める(モーダルシフト) ことにより、国内のエネルギー消費量を減らすことが、エネルギー資源の大部分を 他国に依存している我が国にとって、安全保障上有利に働くということだ。 関連: 促進が期待されるモーダルシフト http://mkynet.hp.infoseek.co.jp/webcic/lib/inw2/wr-c_0407170.html#2 −移転→ http://takagi1.net/g-sys/inw2/2_wr-c_0407170.html −移転→ https://takagi1.net/webcic/lib/inw2/wr-c_0407170.html#2