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2014/04/13
私の知性に対する投資を新幹線建設に使っていれば、軌道の何メートルにはなったのだ。
posted at 07:19:40
★ @takagi1 の主な他アカウント: @atene_gakudo : 知的ネット社会に関する情報 / @h2_chan : 水素エネルギー・燃料電池インフラに関する情報
posted at 09:00:22
新幹線の建設費 http://bit.ly/1goF2nI #railway
posted at 10:09:34
将棋電王戦は、将棋を面白くした仕組みを構成する重要な仕組みである http://bit.ly/1qROmBN
posted at 10:10:35
20140409//水素供給の形が見えてきた、3社の設備の違いとは// / “電気自動車:水素供給の形が見えてきた、3社の設備の違いとは (1/2) - スマートジャパン” http://htn.to/rxbcWzdC
他1コメント http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1404/09/news034.html#tw?u=tk18
posted at 10:53:45
#お茶漬け は、食器洗いが不要な食べ物である。
posted at 13:31:20
STAP細胞問題のなかで「科学者は文章を書けないといけない」という言葉を見かけた。 #将棋 の解説の方がたいへん話が上手なことや、著書を出されていることを見るに、これは、将棋にも当てはまることなのではないか、と思う。
posted at 13:34:21
Chicken and rice of NRE-Daimasu http://bit.ly/1qTfhNC #photo
posted at 16:19:35
3月中頃に鼻水と頭痛でひどく体調が悪かった時に、私を助けてくれた缶入りの #ミルクセーキ が売っていなかった。残念のあまり、冷たい飲み物を買ってしまい、温かい物を買い直した。ミルクセーキや〈のど飴〉は、自販機ですぐに買えるようにして欲しい。公衆衛生ならぬ、公衆厚生としてね。 *o
posted at 16:36:30
RT @hitujikaware: そういやパトレイバーは「ロボットが人型である必要は皆無である」と言う事実を逆手に取って「人型ロボットを作れるくらいの技術力あるよ、という企業の誇示の為人型である」と言う中々に合理的な理由で人型ロボなんだよなあ。
あの設定大好きだ。
posted at 16:41:03
焼き芋 http://bit.ly/1gqiH92 #photo
posted at 20:26:05
ぜんざい http://bit.ly/1gqog7I #photo
posted at 20:57:06
【!】インターネットの網で、日本を支え、持ち上げよう。 あなたをインターネットに活かして、日本を賢くしよう。 あなたの、そしてみんなの知が加わって、日本が賢くなる様子を想像しよう。 http://bit.ly/egEoPL#lift
posted at 22:00:14
数学者の矢野健太郎先生の「真の研究者は真の啓発家であり、その逆もまた真である」という言葉をまず銘記しておきたいと思います。この場合、「啓発家」というのは啓蒙家というような意味で、要するに、だれにでもわかる文章が書けなければならないということです。その逆もまた真である。矢野先生御自身がNHKの「暮らしの数学」という講座をずっとお持ちで、私は数学とはこんなに楽しいのかという思いでいつも大変楽しくあれを視聴しておりました。数学という学問はむずかしいものだ、というのは先入観というもので、大数学者がわかりやすい表現で書いてくだされば、よくわかるし、たのしい学問だ、ということをわたしは矢野先生の著作から学びました。
[ Posted Sun, 13 Apr 2014 11:37:40 ]
財政が好転し、また実収が20万石ともそれ以上ともいわれる庄内に目をつけたのが武蔵川越藩主・松平斉典である。当時川越松平家は度重なる転封で莫大な借財を抱え、また水害等で藩領内が荒廃し財政が逼迫していた。そこで、内実の豊かな庄内への転封を目論んだわけだが、斉典は11代将軍家斉の第二十一子紀五郎(のちの斉省)を養子に迎え、養子縁組のいわば引き出物として、当時、大御所となっていた家斉に庄内転封を所望した。このため、松平を川越から庄内へ、庄内の酒井を越後長岡へ、長岡藩の牧野忠雅を川越へという「三方領地替え」という計画が持ち上がった。
これに対し、天保12年1月20日(1841年2月11日)庄内藩の領民は江戸へ出向き幕府に領地替え取り下げを直訴した。この行動は本来ならば死罪である。また従来、領民の直訴といえば藩政の非を訴えるものであるが、領民による藩主擁護の行動は前代未聞であり、逆に幕府役人より賞賛された。同年7月12日(8月28日)家斉・斉省の死去も伴い幕命は撤回となった。
弟は兄が犯した事件によって職を失い、家を転々とするが、マスコミは彼のことを放っておいてはくれなかった。就いた職場にもマスコミが来るため、次々と職も変わらなければならなかった。
[ Posted Sun, 13 Apr 2014 20:36:34 ]
(1/5) 『秋葉原事件』加藤智大の弟、自殺1週間前に語っていた「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」?: J-CASTテレビウォッチ (via otsune)