杉田 玄白「蘭学事始」

     

評価・状態: 得られるものが秀逸・多量な本★★★



購入: 2004/12/ 6 (岩波文庫版)
読了済み

松岡正剛の千夜千冊『蘭学事始』

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この本からの引用、または非常に関連する記事

全 4 件

図書館・文書館が護るもの

記事ページ 発行: 2016年02月07日

図書館・文書館は
 知識を護り、
 言葉を護り、
 秩序を護り、
 民主主義を護る。

アルベルト・マングェル=著, 野中 邦子=訳 : 図書館 愛書家の楽園 (白水社, 2008) p.270.

パニッツィ[:大英博物館図書館主任司書。サー・アンソニー・パニッツィ Sir Anthony Panizzi (1797-1879)]は…何よりも、「書物が織りなす網」によって、イギリスの文化と政治の本質(アイデンティティ)を支えたいと願っていた。


知識を護る


巨人の肩に乗っている
巨人の正体

Spend it like you've got it

この当たり前のことを実現する/されることは、実はすごいことなのだ。
 
一切の文字文化が永遠に無くなる事がないといわれる蒙古の理想郷  
>書籍が伝わらないことは、過去においてはよくあった。


言葉を護る


編まれた言葉によって、言葉を定義できる。見知らぬ言語、時代により失われた(変遷した)言葉も定義できるのである。

蘭学事始 - Wikipedia (2016年1月28日 (木) 13:41 の版)

昭和時代には、『蘭学事始』に描かれた逸話は、菊池寛の小説「蘭学事始」(1921=大正10年)以後広く知られるようになる。なかんずく、「フルヘッヘンド」という単語の意味が分からず、用例を集めてみなで考えた結果、「うずたかい」という意味だと推測するにいたる経緯は、語学教育における、「安易に辞書をひかず意味を推測する」という教育とあいまって教育に用いられた。しかし1982年に酒井シヅが『ターヘルアナトミア』を原典から翻訳すると、この単語はその中にないことが分かり、報道もされた。片桐一男は、「verhevene」という「盛り上がった」という意味の単語がこれに該当するものだろうと指摘している[1]。

(杉田 玄白「蘭学事始」 | 無窮ナレッジ 電子書架)

秩序を護る




民主主義を護る


公共図書館の最大の役割はインフォームド・シチズンの育成と維持
公文書館なくして民主主義なし
一般の主体的・合理的行動のための情報収集
真理がわれらを自由にする

 

司馬 遼太郎「坂の上の雲 1」感想

記事ページ 発行: 2009年11月07日

司馬 遼太郎「坂の上の雲 1」(文春文庫, 1999)の感想です。

連続性


明治の発展は、福沢 諭吉 が「蘭学事始」の序(1890年)に書いたように「偶然に非ず」であった。

連続性は、藩の存続性であった。藩という仕組みは、明治になってからも生き続けた。

教育・知識階級


明治の発展を担った人々は、藩由来の教育制度を受けてきた。

p.12

> 旧幕時代、教育制度という点では、日本はあるいは世界的な水準であったかもしれない。藩によっては、他の文明国の水準をあるいは超えていたかもしれなかった。


p.26.

> ちなみに徳川時代の特殊さは、知識階級が都会におらず地方にいたことであった。各藩がこぞって藩士に学問を奨励したために五、六万石以上の大名の城下といえば知識人の密集地というぐあいにまで幕末はなった。



さらに言えば、藩由来の高度な教育制度は、長期にわたる江戸時代の太平によって、もたらされたことも事実であろう。

倒幕勇藩以外の藩がもった未来志向


倒幕勇藩以外の藩は奮起した。「米百俵の精神」は長岡藩に限ったことではなかった。

p.68.

> 好古はあの士官学校の試験のあと、本郷からこの話をきいて、
 ――[丹波]篠山はばかにならぬ。
 とおもった。


p.122.

 ちなみに、維新に乗りおくれた中以上の藩のほとんどがこの目的による育英団体をもっていたという点からみれば、日露戦争までの日本というのは諸藩の秀才競争社会であったともいえるであろう。



移行期の常態超えの出力


しかし、藩は徐々に消えていく。中央集権国家が形成されていく。

藩は諸藩は外国さらに他藩から独立していた。よって、諸藩は小さな単位ですべてをまかなわねばならない「混成旅団」であった。制限された環境のなかで、人々は強靱になっていった。

そのような強靱な人々が、制限が取り払われ、外国に開いた明治の日本において働いた。

藩から中央集権国家への移行期ならではの常態超えの出力が達成されたのである *。

p.112.

>日本人の意識転換の能力のたくましさ



* 対して、移行期ならではの損失は、小さかった。

pp.111-112.

> 余談ながら、徳川三百年は江戸に将軍がいるとはいえ、三百諸侯が地方々々にそれぞれの小政権をもち、城下町を充実し、そこを政治、経済、文化の中心たらしめていた。
 が、それが、明治四年の廃藩置県でにわかにくずれ、日本は東京政府を中心とする中央集権制になった。
 「たいへんな変改だ」
 と、これには、幕末から明治初年にかけて駐在した英国公使パークスをおどろかしめている。パークスがおどろいたのはこの改革じたいが革命そのものであるのに、一発の砲弾のもちいずして完了したことであった。 パークスはこれを奇蹟とした。



 

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