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我が国を、さらに賢く致したく候。本文章では、知的ネット社会全体の設計を書きます。我が国を次に進めるために、我々国民の強靭化のために、この文章を公開します。
早めくり目次 |
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知的ネット社会の設計 2013年10月版
2013年10月24日
因仍(いんぢやう)改メズ、恐(おそら)クハ国家土崩ノ勢ヲ致サン。臣等愛国ノ情自(おのづか)ラ已(や)ム能(あた)ハズ、乃チ之ヲ振救スルノ道ヲ講求スルニ、唯天下ノ公議ヲ張ルニ在ル而已(のみ)。
――民撰議院設立建白書, 1874年(明治七年)
本文章は、私の主張である。また、後に説明する「知的ネット社会」全体の設計を表現する。
知的ネット社会は、多くの人々により構成される。構成者は、特別な資格を要求されず、面倒な手続きも必要ない。故に、知的ネット社会の構成者としての認識が重要である。知的ネット社会の一部である構成者、あるいは構成者予備群の人が、知的ネット社会の表現された全体を見て、全体を意識し、その構成者としての認識をもってもらう、そのような認識を思い起こさせる姿見(鏡)のような装置でも、この文章はある。
我が国が、さらに発展するためには、知的ネット社会を顕らか(あきらか)に形成する必要がある。
知的ネット社会とは、多くの人々がつながり、持ち寄られた知性と、それを支援する装置によって、社会が問題を解決する能力を高める仕組みである。
我が国の人口が多いこと、情報インフラが高性能・高品質であること、国民の大部が情報機器を持ちインターネットにアクセスできること、豊かであること、共通した言語(即ち、日本語)の識字率が極めて高いこと、大学進学率が50%であること(即ち、社会が、50%の子供が16年以上教育課程にあることを認めていること)、思想および言論の自由が保証されていることは、知的ネット社会を成立させる要素である。
これらの要素を満たす国の数は少ない。この限られた国のひとつに住む私たちは、これら要素を組み合わせて、知的ネット社会を顕らかに形成し、これを活用して、理性に則り、実効性をもって、世界を安らかにし、世界に不幸を減らし、幸せを増すべく貢献すべきである。
将来に目を向けると、我が国の前途は多難である。我が国に高い価値をもった天然資源が少ないことは以前より明白であったが、昨今の石油価格の高止まりが、富(:豊かさ)の海外流出を増やしている。人口も減少に転じた。現在の視点からいえば、近い将来に我が国は繁栄の限界点に達しつつある。
これを、将来から振り返り見て、永続的な繁栄の一通過点にしなければならない。そのためには、次の繁栄のために、手を打たねばならない。手は多い方がよい。省資源化、地産エネルギーの活用、少子化対策など、いろいろな手が実施され、あるいは実施されつつある。加えて、手の一つとして、先に述べた要素を組み合わせて、知的ネット社会を顕らかに形成するべきである。
中東のアラブ首長国連邦のドバイでは、石油が掘り当てられた際に、その埋蔵量に限りがあることを知って、石油から得られる富を浪費せず、インフラや金融に投資した。現在のドバイの繁栄は、ここを起点にしている。我が国においても、繰り返しになるが、先に述べた要素を組み合わせて、知的ネット社会を顕らかに形成し、次の繁栄の一つの起点にするべきである。なお、ドバイに埋蔵された石油には限りがあったが、我が国から生まれる知性そのものに限りはない。
以下、2章に性質、3章に概念設計、4章に詳細設計というように、知的ネット社会の設計を記す。
2章の性質は、場の動的性質であり、
3章の概念設計は、場の静的な性質を表わす。
4章の詳細設計は、場を機能させるための、配置、構造、場の内外及び内部間での流通、補助装置などについて書く。
自動車のガソリンエンジンで例えるならば、
2章の性質は、ガソリンを爆発させて、力を出力する性質、
3章の概念設計は、高温・高圧力に耐えられ、内部体積が変わり、かつ内部のガソリンを含んだ燃料ガスを爆発させられる閉鎖空間、
4章の詳細設計は、
知的ネット社会は、不特定多数からなる集団の知性を総活用する性質をもつ。
知的ネット社会は、その構成する人口の多さによって、2乗比例、すなわち「ランチェスターの第2法則」に従う大きさの効果をもつ。詳しく言えば、ある問題にアクセスする人々がもつ多様さの2乗に比例した大きさの効果をもつ。
知性の総活用と書いたが、構成者に24時間獅子奮迅の知的行動を期待するわけでは決してない。無理こそが、知性を衰弱させる。構成者の多さは、ある問題が話題になっている期間において、その問題にアクセスする人口が多くなり、多様になることによって、無理なく、活かされるのだ。
問題には、素人には解決が難しいが、その道の専門家には解決が極めて容易い問題がある。それと同時に、専門家では、従来の常識やしがらみに囚われて、解の探索領域を限定してしまって解決が困難になる場合があり、素人による自由な発想が役に立つこともある。また、当事者による緻密で豊富な知識と熱意が問題解決の原動力になる場合もあれば、それが空回りし、第三者による俯瞰的で冷静な視点が解決の糸口になる場合もある。
問題にアクセスする人々の中に専門家や同様の問題の当事者がいるようにするには、構成者の多さが必要である。また、専門家、素人、当事者、第三者の各々に一長一短ある状態を解決する方法が、多様さの確保であり、そのための無理のない前提が構成者の多さである。
知的ネット社会は、あらゆる属性の、老若男女の知性を総活用するものである。
2章において説明した動的な性質を実現できる場がもつ、静的な性質を考える。
それを「知的制高面」と、日本語に表せる。
《制高》とは、軍事用語であり、高い場所を自らの陣地とすることである。高い場所は、見晴らしが利く。《面》は、孤立な“点”に優越する。さらに、変化がなく、一つの失敗が全体を失敗させる“線”に優越する。また、属する要素の立場が平等であり、要素と要素が互いに直接(:間をかまさずに)アクセスしやすい。
つまり、知的ネット社会の場は、周りを、あるいは自分の頭の中をよく見える人々がネットワークを為し、人と人とが直接に情報伝達ができる場である。
知的ネット社会を形成するにあたり、私が行った設計を述べる。その前に、復習しよう。知的ネット社会は、3章に記した《知的制高面たる場》であって、2章に表わした《知性を総活用する性質》を働かせており、かつ、社会が問題を解決する能力を高める仕組みである。
これを実現する基本的な考え方は、個人が知性を表に出すことを推奨・支援すること、推奨・支援する仕組みが埋もれ人々の意識から消えないように顕らか(あきらか)にすることである。
知的ネット社会は、政治によって統制される公的空間と、個人の意思によって統制される私的空間の間に、形成される。つまり、モノの共同使用を前提とするという制限の下において個人の自由が認められる公共空間に形成される。
その活動の大部は、インターネット空間で行われる。構成者が物理的に移動する必要がなく情報や人にアクセスでき、低コストに知識の公開や意見の表明をできる、至極便利な空間であるからだ。
知的ネット社会における最も重要な規範は、以下の2つである。すなわち、
反知性主義の打破とは、知らないことはよくないことだ、という意味である。ノーフリーランチ定理とは、どのような問題に対してもうまくいく、万能な方法はない、という意味である。
反知性主義の打破は、知的ネット社会の理念を明確に示すとともに、大同小異の「大同」をもって知的ネット社会をまとめる効果をもつ。なお、すぐ次に書くように、知的ネット社会において「異」は良いものである。
ノーフリーランチ定理は、知的ネット社会においてもっとも重要な《思想の多様性》を理論的に裏づける。加えて以下の2つの理由により、ノーフリーランチ定理を最重要な規範の一つに位置づける。一に、我が国において大東亜戦争(:太平洋戦争)直前及び戦中に生じた全体主義による損失を教訓にする。二に、知的ネット社会に、陳腐化・硬直化を防ぎ、自らを発展させる自己革新能力をもたせる。
知的ネット社会は、何らかの問題の解が形成されていくにつれて形成される構造をもつ。すなわち、論理・知識の発信者と受信者を結ぶ構造、及びそれを体系づけ・高度化する議論・討論の参加者(:討論者と視聴者)を結ぶ構造である。
この構造を顕らか(あきらか)に捉えることは、問題を解決するために「次に繋げる」こと、「自分は問題解決のための一員である、他から支援なく自分だけが孤軍奮闘しているわけではない」こと、「問題解決過程の成果を受け取る人がいる、その人のことを配慮する」ことの意識を呼ぶ。
知的ネット社会は、以下の維持・刺激・発展機能をもつ。これは、学会が学会誌を発行するようなものだ。しかし、知的ネット社会の事務局の成立を待つ必要はない。機能を提供したい構成者が提供すればよい。
知的ネット社会では、その構成者に、《知性の一般的啓発》・《知的な専門技術》・《思考のための食べもの》が提供される。
前述した規範と構成者の気の持ち方に関する。同じような目的のために、昔には、小学校に二宮金次郎の銅像があった。
作業現場におけるラジオ体操のように、一日の知的行為の開始時にスイッチを入れる道具として使える。なお、この用途の道具として読まれる文章は「ペン・シャープナー」と呼ばれる。
また、知的な面での自らの怠惰を悟った時に精神を整える道具として使える。
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知的生産、それを高度化するための議論、そして判断・決断の仕方に関する技術である。
考え方には及第点レベルの品質を得られる定石、フレームワークがある。また、ヒトという生き物がもつ性質・傾向に関する研究・考察は、それの活かし方、それが原因の誤りへの注意を導いている。知的行為に関するこれらの知識を、知的ネット社会では最大限に利用する。そのために、利用しやすい形で提供される。
また、最新のWebサービス、情報機器などの使い方(基礎、応用、トラブルシューティング)も提供される。
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思いつき、アイデア、新たな認識、及びこれらを生む源になる情報である。
個人が生み出せる思いつき、アイデア、新たな認識の数は限られている。また、関連するこれらを連結することによって価値が高い思考になるが、個人単独では連結するまでに忘れてしまう。だから、知的ネット社会では、構成者がこれらを発信して、各構成者の頭上に雨嵐のように降らせる。連結現象が各所で発生し、価値をもつ思考が創造される。これはTwitterを基盤にして可能であり、発展の余地を十分にもちつつも実現されている。
加えて、思いつき、アイデア、新たな認識を生む源になる情報の提供元のひとつに、マスメディアによる報道がある。問題に気づかない視聴者・読者を刺激して問題意識を生じさせるというマスメディアの役割は、知的ネット社会との組み合わせによって明確になる。マスメディアは、時に、不安をあおる性質があるとして非難の対象になる。その性質を知的ネット社会の構成者が理解し、知的ネット社会において、マスメディアが報じる不安源から問題点を抽出し解決する《止揚(アウフヘーベン)》によって、その性質は益に転換される。
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知的ネット社会は、自身に関する研究機関をもつ。南米・ブラジルの首都ブラジリア市には、ブラジリア市の建設・あり方を考える研究所があり、その歴代の研究所長が、後にブラジリア市長を務めている。【2014/ 3/15訂正】南米・ブラジルのパラナ州の州都・クリティーバ市には、同市の建設・あり方を考える研究所があり、その歴代の研究所長が、後に同市長を務めている。 そのように、知的ネット社会においても研究機関が役割を担う。そして、その行為は、他の知的行為と同様に、高く評価される。
研究機関では、知的ネット社会について、定性的なアプローチに加えて、定量的なアプローチがされ、知的ネット社会を発展させる知識、社会の様々な要素と知的ネット社会の最適な組み合わせを考える知識が生産される。
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0章の記した繰り返しになるが、知的ネット社会は、多くの人々により構成される。構成者は、特別な資格を要求されず、面倒な手続きも必要ない。故に、知的ネット社会の構成者としての認識が重要である。国において、国民意識が国歌・国旗・国章や行政サービスなど様々な仕掛けによって醸成されているように、構成者意識をもってもらう仕組みは重要である。そのような仕組みの例を以下にあげる:
(1)に述べた構成者への情報提供サービスは、同時にこのような仕組みでもある。
情報提供サービスへの登録行為(大仰なものではなく、例えばTwitterの「フォロー」やFacebookの「いいね!」になる)は、構成者に構成者意識をもたせる。そして、そこからの届けられた情報を見ることは、過去の自身の登録行為を思い出させ、構成者に構成者意識を思い起こさせる。
また、構成者が自身のブログやSNSなどの公開プロフィールに載せた、お気に入りの情報提供サービスへのリンクは、それを構成者自身が見る度に構成者に構成者意識をもたせる。これは、ヒトという生き物がもつ性質・傾向であり、無意識に実施される。
0章に述べたように、知的ネット社会の全体像を可視化し、それを見てもらうことは、構成者に構成者意識をもたせる。これは、意識的に実施される。
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詳しく書けば、b)により構成者がもつに至った知的ネット社会の全体に関する知識、その中でも《知的ネット社会において、情報提供サービスが、それがもつ仕組みの一つであること》と、a)により随時に思い起こされるお気に入りの情報サービスの後援者意識・活用者意識が合わさって、構成者意識をもたせるのである。
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知的ネット社会の用途は、限定されない。
知的ネット社会の代表的な用途のひとつに、政治がある。政治は社会的な問題解決のひとつの手段であり、人々の意見をその基盤にしている。多くの人々に注目され、話題が提供される。問題を解決する解である、承認された政策は、多くの人々に影響を与える。
私は、知的ネット社会の明示された用途として、2012年の衆議院議員選挙以前には、分野を定めずに小さな問題の解決を考えていた。まずは、小さなところからは始めるべきだと考えたからだ。しかし、知的ネット社会の用途分野が明示されないことが、知的ネット社会の意義をぼんやりさせていた。そのような中、2012年衆院選の際に政治へのインターネットの利用が注目された。さらに、2013年には公職選挙法が改正されネット選挙運動が解禁された。私は、2012年衆院選以降、知的ネット社会の明示された用途として、大きな問題ではあるが政治を考えている。
政治は、多くの人々の知性を役立てることができて、その成果が社会に大きく役立つ性質をもち、知的ネット社会の用途の本丸である。本丸ゆえに、分かりやすい。
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知的ネット社会の成功度合いの評価指標として、 4章の「維持・刺激・発展機能」の《(1) 構成者への情報提供》、及び《(3) 構成者に構成者意識をもってもらう仕組み」 a) 情報提供サービス》の登録者数の総合計がある。なお、Twitterを想定している。また、それ専用のアカウントでなくても合計の対象にする。専用アカウントでない方が、親しみやすく、《(1) 構成者への情報提供》手段として説得力が強いからだ。
その目標値は、日本における総ユーザ数の過半数(50%超え)である。すなわち、過半数の人に知的ネット空間の構成者及び構成者予備群になっていただきたい。
知的ネット社会は、さまざまな他の仕組みに支えられている。知的ネット社会は、そればかりを考えて運営をしてはならない。本章では、知的ネット社会を支える仕組みをも含めて「拡大知的社会」と呼び、これを考える。拡大知的社会を堅牢にすることは、知的ネット社会の堅牢化につながる。知的ネット社会を発展させる方法のひとつ(:間接的アプローチ)は、拡大知的社会への資源投下である。拡大知的社会を意識することにより、そのどこに厚く資源投下するのか、という視点が生まれる。
4章において、知的ネット社会の構造として「論理・知識の発信者と受信者を結ぶ構造、及びそれを体系づけ・高度化する議論・討論の参加者(:討論者と視聴者)を結ぶ構造」を挙げた。
拡大知的社会では、以下の構造が加わる。すなわち、社会の知性を支える仕組みだ。
安全・安心系統、衣食住・エネルギーの供給系統、公衆衛生・医療系統、産業、情報インフラ、学制、図書館制度、思想及び表現の自由を保障する系統などが、これに当たる。
これらの要素を軽視してはならない。「衣食足りて礼節を知る」「恒産無くして恒心無し」である。知的ネット社会では、大人数が、多様に行動するので、精神力に頼ってはならない。強かさ(したたかさ)がもつ堅牢さを軽視してはならない。
思想及び表現の自由は、空気のようで、その存在が当たり前になっているが、世界を見れば、この自由が認められていない国は多い。思想及び表現の自由を規定した日本国憲法 21条と、それが侵される時をも想定した日本図書館協会の「図書館の自由に関する宣言」は、一度は読んで、時折思い出されるべきである。
次世代の育成、教育は、社会の知性にとって重要である。明治期においては、村々では村民の金を集めて小学校を作り、飢饉においても小学校建設を優先し(「米百俵」)、伊藤博文は、欧州視察を経て、国家の運営のために帝国大学を設立した。
教育には様々な側面があり、学校だけに任せる事業ではない。個人や企業でも担える。例えば、インターネットを通じた知識の伝達・自主学習の手段である「学習の高速道路」の建造ができる。
また、次世代者に知性を習得・修得する意欲をもってもらうための助言ができる。
昭和時代後半には「勉強して、いい大学に入れば、大企業に就職できて、一生安泰だ」と一般に表わされた。次世代者は自身でその真偽を判定することはできないものの、勉学の苦しみを感じたときにその定型文を頼りとして、意欲を奮い起こしたのである。この定型文は高い確率で真であったから、親もマスコミも、覚悟なく公言した。
しかし、このような定型文は、現在は存在しない。このような定型文を公言することには、何らかの覚悟がいる。なぜならば、その言葉に、一般的な人が自然に発動する、不幸から逃れる防衛能力の発動を考慮しても、無視できない偽が伴うからだ。そのことを、1990年代のマイナス成長期、そしてそれに続く時代に、思い知らされた。
安定成長・低経済成長が示唆することは、皆が使用できる勝利の方程式がないことである。成長率0%を単純化して言い換えれば、競争率2である。2人のうち、1人は成長組に入り、もう1人は衰退組に入るのだ。この競争率は、大学全入時代である現代においては大学の入試競争率に比べて高い競争率である。
だからこそ、知性が成功の鍵である。自らを、周りに無条件に流されない明晰な主体として維持する。自分の強み・弱みを知り、強みを伸ばし、弱みを手当てする仕組みを構築する。自分に有利な状況を作り出し、その状況で戦う。不利な情報を受け止めて、対処しつつ、退く時には退く。これらの知性の働きにより、成功率は上がる。(その結果として、経済成長率は上がる。)
しかし、責任ある公的機関が公言できるような、普遍的な勝利の(:成功の)方程式はない。次世代者に知性を習得・修得する意欲をもってもらうための助言は、個人や企業こそが担いやすい。
次世代者は、知性を習得・修得する意欲をもったうえで、《知識を得、知性を高め》、そのうえで新たに得た経験・思い出される古い経験を知的に消化し、そのうえで《新たな問題を認識して、解決する》ようになるのである。
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日常生活や仕事において、複数人が集まる場を、小さな知的ネット社会にしていく。例えば、我が国においては、ホワイトカラー労働者の生産性向上の余地が大きいと考えられており、この根本的問題の解決の一助になる。
本文章は、主張「我が国に制高面を」(2012年5月2日)を更新する草稿として書き始められた。私は著すにあたり、ルールを一つ定めた。すなわち、外部記憶を参照しないことである。名付けて「北畠メソッド」。南北朝時代の南朝方武将・北畠親房が、たった数冊の書物を除き、他は自分の記憶に頼って「神皇正統記」を著したという故事に習う。
「我が国に制高面を」が、既存の文章を、大きな文脈の中で位置づけるだけに留まった理由は、既存の文章、即ち外部記憶を意識しすぎたためであった。本文章では、その省察を経て、内部記憶、即ち、我が脳にのみ依存して書かれた。結果は、成功であり、知的ネット社会の全体を記述することができた。これを受けて、「知的ネット社会の設計」に題名を改めた。
若干の追記・修正の後、本文章は、若い状態で公開される。既存の文章にもっと的確な表現があるかもしれない。しかし、それを探し、優劣を判断して本文章を手直しする時間をかけるよりも、本文章がいち早く衆目に晒されることを重視する。いち早く我が国を次に進めるためにである。
以 上
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