Twitter @takagi1+@atene_gakudo
2025/05/19
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能登震災の数日後に「通常営業」でこれをやっていた時から自分はこの人のファンだ。
自分も覚えがあるけど、子供達は「身の回りの大人が不安そうにしてる」のが凄く怖いんだよ。
そんな時にこの人は子供達にいつも通りの笑顔を届けたんだ。ヒーロー以外の何者でもない。
#こどもの日だからこども達のヒーローを貼ろう","1
posted at 20:00:59
舞台となった1920年代は、ココ・シャネル?がファッション界の革命児として大活躍した時代。そんな背景から、作品に登場する女性キャラたちはみんなおしゃれです?特に #ジーナ はシーンごとにファッションが違います。このシーンでは当時ではまだ珍しいパンツルックを着用しています。さらに??ジーナが無線機を密かに持っているのは、彼女の過去と関係がありそうです?
#紅の豚 #金曜ロードショー","1
posted at 14:14:08
『 #ストラトス・フォー 』の舞台である #下地島 は、 #宮古島 の側( #伊良部島 と隣接)。なお、現在は、伊良部島を介して、橋で宮古島とつながっているが、アニメ放送時の2003年当時は、つながっていなかった。","1
posted at 19:42:32
本日の仕事場より。某プラネ番組を途中退場した幼い女の子。暗くて怖かったのかな?と思ったら「はやぶさ、燃えちゃってかわいそう。小惑星に残ったちいさいコたちはどうしてひとりぼっちなの?連れて帰ってあげられなかったの?」と大号泣での退場とな。その感受性に思わずおばちゃんも泣いた…→","1
posted at 08:36:47
とにかく本業でキャッシュを生む物以外に支出する性向があるか否かと倒産率の相関は実際にあり、スコアリングにも組み入れられてる。社屋や営業車はズタボロなのに工場の奥には最新のドイツ製製造機械が鎮座、みたいな所、リーマンでも大震災でもコロナウイルスでも潰れない。鬼の様に固い。","1
posted at 06:10:51
確かに今回の万博では、シンボリックな大屋根リングの建築や、会場全体のブランドをかたちづくるデザインシステムを、理想に近い“ピュアなかたち”で実現できたのかもしれませんね。実は、今回の万博で実現した開かれたデザインや共創の仕組みは、東京オリンピックで経験した閉塞感や、実現できなかったアイデアへのリベンジでもありました。あの時感じた悔しさや学びが、今回の万博のデザインに繋がっています。
今だからこそ言えますが、東京オリンピックの出来事は、クリエイティブ業界の一人として非常にショッキングで、言葉にできない悲しさを覚えました。ロゴの撤回、建築案の取り下げ、そして激しいバッシング。あの時、業界全体に閉塞感のような空気が漂っていたことを、今でもはっきり覚えています。
実は当時、僕自身も前職でパラスポーツのプロジェクトなどを担当していた流れから、組織委員会へ出向し内部からオリンピックのブランド開発や広報に関わっており、国際的なイベントの裏側でブランドがどのように立ち上がっていくのか、仕組みやプロセスを学ぶ貴重な機会となりました。過去のオリンピックのデザインシステムや仕組みなど外には絶対に出ないような設計資料など沢山見る事が出来、国際イベントのブランド開発がどのように出来上がっていくのか勉強する事ができました。その経験や知見は、確実に今回の万博のデザインに生かされています。
そして、もうひとつ大きかったのは、五輪の時に自分でこうあれば面白いのではないか?と考えて実現できなかった数々のアイデアや哲学が、今回の万博でようやく息を吹き返し、実装されたということです。それは見た目ではなく、構造や思想の部分に宿っています。そういった想いや試行錯誤をすべて詰め込んだのが、今回のデザインシステムであり、「こみゃく」というプロジェクトでした。
また、精神的にも、オリンピックで感じた閉塞感を引きずったままでは、若いクリエイターたちが「公共のプロジェクトは怖いもの」「関わりたくないもの」と思ってしまうのではないかという危機感がありました。それは、個人にとっても、国家的にも大きな損失だと思っています。
そうした想いの中で、3年前、万博のデザインシステムに取り組み始めた時に、自分自身が最も大切にしたデザインポリシーの一つが「参加と共創を促す開かれたデザイン」でした。それは、オリンピックの時に感じた閉塞感の空気を打ち破り、多くの人に開かれた新しいクリエイティブのあり方を提示するための選択でもありました。
その想いは、やがてオープンソース的な二次創作文化「こみゃく」へとつながり、さらに多様なアーティストやクリエイターと共に会場装飾やサウンドスケープをつくりあげていく「オープンデザインプロジェクト」へと発展していきました。
外から見れば、オリンピックと万博は全く別のプロジェクトに見えるかもしれません。しかし、僕の中では、オリンピックでの複雑な経験と想いが確実に万博へとつながっており、一続きのストーリーとして存在しているのです。
だからこそ、今回の万博でカタチにできたことは、単なるクリエイティブの成果以上の意味を持ちます。それは、「次世代にポジティブな可能性を繋げられるか?」という問いに対するひとつの応答であり、同時に自分自身の人生の中でも、深く刻まれる出来事となりました。","1
posted at 12:59:26
オリンピックと万博、この2つの国家的イベントのクリエイティブを内側から見れた事は自分のクリエイティブ人生にとってこの上ない学びとなりました。この2つのデザインの開発をどちらも内側から見れたのは僕1人だとおもいますが、だからこそ公共のデザインやクリエイティブ対して課題も可能性もどちら感じました。これからの日本のデザインやクリエイティブがどうあるべきか?そのためにはどの様な仕組みが必要なのか?
日本には素晴らしいクリエーター達が山ほどいます。デザイン先進国、クリエイティブ先進国なのです。それは日本の大きな資源です。ただ、その資源を生かすための仕組みやグランドデザインが出来ていないのが大きな課題です。
また、そういった才能を潰さずに活かし、育てていくための環境や教育も未整備です。このままでは、才能のあるクリエーター達はどんどん日本から逃げていってしまいます。優秀な人も公共のプロジェクトに関わりたい人はどんどん減って行くでしょう。そうなってからでは遅いとおもいます。公共のプロジェクトは意義があり、社会を動かすことができるやりがいがある事を感じてもらえるように。
このオリンピックと万博、二つの国際イベントのデザインやクリエイティブを経験をさせてもらった恩返しを今後の人生ではしていかなければならないと思っています。ここで、気づいた課題を可能性に変えて社会に還元していくような活動を2025以降に向けて動いて行こうとおもいます。","1
posted at 12:59:30