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2017/09/02
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北海道新幹線は札幌市内は1kmしか地上を走らないらしい。旅情がない。
鹿児島中央駅「あそお」 https://twitter.com/hibarin_yanagi/status/901615749411643394/photo/1
posted at 10:22:00
駅のプラットホームの端で、電車は、空間から機械に変わる。 #railway *o
posted at 04:30:14
函館大の大橋先生による調査。北海道新幹線では東京圏から直通の利用者が約4割、仙台も含めると約6割に達する。目的は観光約6割で仕事が約2割。「乗り通す人なんてマニアでもない限り居ない」というのは全く根拠が無い妄想である。
https://twitter.com/l1011sr/status/902461283320045568 https://twitter.com/kaorurmpom/status/902617245003554816/photo/1
posted at 04:41:35
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19世紀のヨーロッパでトレイン・シェッドが生まれた背景には、都市とその外の田園を区別する当時の意識がある。蒸気機関を用いた鉄道はもともと鉱山で用いられていたものであり、田園の側に属するものである。それが都市間の交通機関へと発展しても、そのまま都市の内部に受け入れることには抵抗があった。そこで列車の発着する場所をトレイン・シェッドで覆い、さらにその前面に駅舎を建てて市街地に対する顔としたのである[13]。駅舎は新たな工業製品である鉄道に対する抵抗感を和らげるため、あえて古典的な意匠が採用されている。このため、当時の駅は「半分工場、半分宮殿(mi-usine, mi-palais)」と呼ばれる二面性を持つことになる[39]。
鉄道を利用する旅客はまず駅舎内の待合室に案内され、列車の発車直前になってからトレイン・シェッド内のプラットホームに導かれた。19世紀半ばまで、一般の市民がこうした段階を踏まずに工業的機械である鉄道に接することは難しいと思われていたのである。しかし1860年代になると、駅の入口とトレイン・シェッドを待合室を経ずに結びつけるコンコースが現れ、都市と鉄道の距離が縮まる。やがて駅舎によってトレイン・シェッドを覆い隠す必要もなくなり、シェッドが露出したデザインが現れてくるが、後にはトレイン・シェッドそのものが不要とされるに至った[40]。
一方アメリカでは、工業の市内への侵入に抵抗する意識はヨーロッパほどではなく、都市間の鉄道の車両が市内の併用軌道に乗り入れることは珍しいことではなかった。アメリカでトレイン・シェッドの発達が遅れ、またヨーロッパより先に廃れたのにはこのような理由もある[41][21]。
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“阪急は、国土交通省が7月に開いた「近畿圏における空港アクセス鉄道ネットワーク検討会」で、伊丹空港への新線構想を提示した。検討会には、大手私鉄のほか有識者や大阪府や兵庫県、関空と伊丹空港を運営する関西エアポートなどの関係者が参加している。”
- 阪急「大阪空港」への新線検討、梅田から直結で利便性高まる(2/2ページ) - 産経WEST