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2011/11/16
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0.6乗則(スケールメリットに関する経験的法則)がどんぴしゃで当てはまって、身震いがした。 ##
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ジル・ド・レェ(Gilles de Rais 1404年9/10〜1440年10/26)とは、フランス王国のブルターニュ地方ナントの貴族。
そしてあのジャンヌ・ダルクと共にフランスを救った『救国の英雄』である。
ジル・ド・レイ、またはジル・ド・レと表記される事も。
11歳の時に両親と死別。祖父に引き取られ甘やかされて育ち、後に近隣の領地の息女であるカトリーヌ・ド・トアールと結婚。
成長すると軍に志願し軍人になり、百年戦争のオルレアンの戦いにおいてジャンヌ・ダルクの神々しさに魅了され彼女に協力。
数々の武勇伝を立て戦争の終結に貢献し「救国の英雄」としてもてはやされた。
その功績を称えられ、フランス軍元帥に任命される。
その容姿は気立ての優しい、人を誘い込む魅力的な顔だちに、軍人らしい堂々たる体躯を誇るというイケメン。
頭髪はブロンドだったがあご髭は黒々としており、それは光の加減で青く輝いて見えたという。
このため通称『青髭』とも呼ばれている。
また武術に長け、情熱的で献身的かつ敬虔なキリスト教徒で、語学文学を筆頭に教養も豊かで、更に芸術にも深く精通していた。
おまけに広大な領土を所有する当時のフランスの屈指のエリート貴族で、祖父の遺産によりあり得ないレベルの大金持ち。
まさに『救国の英雄』の名にふさわしい完璧超人である。
* *
* + 一応ほんとうです
n ∧_∧ n
+ (ヨ(*?∀`)E)
Y Y *
…しかしその後の彼は上記の完璧っぷりがまるで嘘かのように豹変。
歴史上でも稀に見る変態性的倒錯者にして背徳者かつ大量殺人鬼へと変貌してしまう。
その理由はかつて自分の憧れであり最大の心の支えであった『ジャンヌ・ダルクの処刑』。
ジャンヌが無惨にも火炙りの刑に処された事により精神を病み、更に軍が解体された事によって自らの存在意義が無くなってしまい、完全に空っぽの存在となり果てた。
その後の彼の人生はそんな空っぽの自分を満足させるためだけに費やされた。
…そう、ここからが悪夢の始まりである。
彼はその莫大な財産をまるで湯水のように浪費し、昼間は数々の芸術品を買い漁っては宴を開いては遊び惚けていた。この時の彼は周りから見るとまだ普通であった。
しかし夜になると彼は…
なんと幼い少年を拐っては家に連れ込み、凌辱の末に殺害し更に凌辱を繰り返したのだ。
最初に普通に触れ合うだけだが、少年が安心しきったところで虐待を開始。
首を裂いて死にかけの姿に興奮しては勃起に射精を繰り返し、死後も腹を裂いては臓物を取り出しては恍惚、最後にはかつてそれが少年であったのが嘘のような肉片が散乱していたという。
更に彼は殺害した少年の生首をコレクションする事も趣味としており、従者に対して『この中で一番美しいのはどれだと思う?』と問いかけたそうな。
そのような醜悪極まりない行為を彼は何度となく繰り返したのだ。
彼の部屋では吊り上げる為の滑車や殺害に使われた短剣等さまざまな拷問器具が見つかったという。
彼はもともと少年愛好の気があり、普通の女性には一切興味がなかった。つまり重度のショタコン。(ちなみにこれは育ての親である祖父の影響が強いらしい)
そのような性癖が精神を病んだ事により歪んだ形で爆発したのであろう。
上記の通り彼には妻がいるが、これは領地目的で祖父に無理矢理結婚させられただけであり夫婦間の仲は完全に冷めきっていたという。
ジャンヌに魅了されたのもその少年的な魅力に惹かれたからだという説がある。
また上記のような浪費を続けていた為かその莫大な財産も底を尽きかけ、借金を繰り返しては領地や金品等を底値で担保にかけたりとだんだん金銭面がヤバくなっていく。
その頃に金を作る為に錬金術にまで没頭。
更に一流の魔術師錬金術師を自称(当然嘘)する詐欺師の美少年(ここ重要)フランソワ・プレラーティの入れ知恵により、悪魔崇拝や黒魔術にまで手を染め、贄として更なる子供を殺害したという。
余談だがこのフランソワ・プレラーティはクトゥルフ神話だと本物の魔術師とされており魔導書ルルイエ異本のイタリア語訳版を持っていたらしい。
しかし大量の少年が行方不明になっている事に近隣の住民達が不振がらない訳がなく、『ジル・ド・レは人喰いだ』という旨の噂が絶えず流れたという。
しかし誰も彼の権力に逆らえず告発出来ずにいた。
だが1440年、彼が所領を巡る争いによりサン=テティエンヌの聖職者を拉致・監禁したことから教会の逆鱗に触れ、ついに告発され捕らえられてしまう。
罪状は幼児誘拐や殺害、悪魔交信、神に対する冒涜等どれも弁明の余地無く死罪にされるレベルの物であった。
犠牲になった子供の数は最低でも800に及ぶと言われているが具体的にはわかっていない。
ちなみにこのような行為は、ジャンヌ・ダルクを救済しなかった神を冒涜し汚す為だったとも言われている。
公開裁判では、彼はすべてを告白して泣きながら懺悔し、その場にいた人間たちに許しを請うたという。が、それで罪が許されるはずも無く、絞首刑の後に死体が火刑と処された。
しかし腐っても『救国の英雄』。火刑の際にジルの魂が救われるよう、民衆が祈りを捧げたという。
ただし、ジルのこのような悪徳行為の一部は財産を狙う司祭達により故意に誇張された一面があることも否定できず、実際はどこまでが真実かわかっていない。
また、領民である少年の虐殺に関しても、当時の貴族の感覚では自らの領民はペットも同然であり、例え殺したとしても罪に問われることはあまりなかったとされる。
信じがたいが、『自分のペットを殺して何が悪いのか』というのが、当時の貴族の常識だったのだ。
それがいきなり断罪されたことも、陰謀説を証明するものだとも言われる。
また、これらの大量殺人の事実を元として、童謡『あおひげ』が産み出された。これは先に挙げた彼の特徴に由来する。
現在でも彼の城のあった地域では、民話としてジルの活躍と狂気的な人格が語られているらしい。